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Interview

2021.06.06 UP

関美和さんの生き方「43歳で外資系投資会社を辞めゼロから翻訳家に」

日本でも100万部を突破しベストセラーとなった『FACTFULNESS』。その訳者の1人であり人気翻訳家の関 美和さんは、仕事で英語を扱っていたとはいえもともと翻訳畑のキャリアではありませんでした。ご本人曰く、その挑戦はいつでも〝無謀〟。転身の軌跡を、お話しいただきました。

MIWA SEKI INTERVIEW

大人になってからも、当たって砕けたっていい

 福岡の田舎に育ち、小さい頃から児童文学が世界を覗く窓でした。翻訳文学に憧れてはいましたが、仕事で英語を使うようになってからも翻訳者になろうとは思っていなくて。でも、ある本を読んであまりに境遇が自分とマッチして、どうしても翻訳したくなり、著者にメールを書きました。お返事をいただきましたが、すでに日本での出版が決まっており叶いませんでした。元からこうして、何か思い立った時に全然知らない人に連絡を取ることはよくするんです。ダメなことの方が99%で、お返事がないことの方が多い。でも、動いたら確率は0から1%くらいにはなりますよね。すべてそんな調子です。

 電通を経て外資系投資銀行に在籍中ハーバードの大学院を目指したのも、可能性があるのなら、くらいの気持ちから。会社では数年働いた後、海外の一流ビジネススクールを目指すことが当たり前な環境でした。就業前後にMBAの受験勉強をみんなしていて、海外在住経験のない同僚が普通にハーバードの大学院に行くのを見て、自然に“私も”と。ただベルトコンベアーに乗っただけで、強い意志はなくて。周囲にどんな人がいるかで人生が変わるというのは実感しますし、恵まれていたと思っています。

 新卒で入った電通は当時、男子100人以上、女子十数人程度の採用で、競争を勝ち抜いた自覚はあったもののここに一生いるのかな、という気持ちは最初からありました。在籍中に交通事故に遭い長期入院をした際、辞めるのは今だと思って1年ほどで退職。その後はツテをたどり、外資の投資銀行に入行しました。学生時代1年間アメリカのバージニアに留学はしていましたが、外資だからといっても留学など海外経験がある人の方が少なくて、私もあまり関係ないかな、と感じます。それよりもみんな大学受験から英語をみっちり勉強して入ってきている人が多かったんですね。

 ハーバードに行った後、しばらくしてから結婚、出産をしましたが、キャリアのことは特に考えず、これも自然な流れでした。当時は投資銀行の下っ端で、子どもが生まれる直前まで深夜残業し、朝帰りもざら。そして3カ月で復帰。毎日忙しくて、ただただ眠くて…。保育園とベビーシッターさんに頼り、投資顧問会社に転職したあと、2歳差で2人目も産みました。疲れはいつも感じていましたし、笑顔でいるのが難しい時期もたくさんあって、今考えると、産後うつだったかもしれません。

“逃げるように”退職、翻訳家に。
弁護士の道を模索も!

 投資顧問会社を退職したのは、下の子が小学校5年、上が中1の時。子どものためにというよりも、率直に休みたかった(笑)。支店長職でしたが、もともと投資は周りと比べても上手じゃないなと思っていたんです。だから、私の中では“逃げ”な部分もありました。もっと将来を真剣に考えていたら、電通に残っていた方が良かったかもしれないですし、実際に偉くなっている同期もいる。でも、選ばなかった人生のことなんてわからないですよね。

 この頃に、翻訳者になるために本格的にツテをたどっていきました。それまでのキャリアの積み重ねのおかげで、知り合いの知り合いといった出版関係のツテを紹介していただけました。そして少しずつ翻訳の仕事が舞い込み始めたのですが、そんな頃に夫に離婚を切り出されまして。会社を辞める前に言って欲しかったけれど、後の祭りです。当時翻訳では食べていけそうもなかったので、就職活動を始めたものの身が入らず、面接で「5年後に何をしていたいですか」と聞かれ「家でのんびりしたい」と正直に答えてしまった自分に危機感を覚えたことも(笑)。リーマンショックもあり、そんな調子では当然落ち続けまして。そこから俄然、翻訳業に力が入ったというか、入れざるをえませんでした。

 それと同時に、離婚で弁護士にお世話になったことがきっかけで「私にもできるかも」と感じることがあり、母校の法学部に学士入学し、学生生活を送りながら翻訳の仕事を続けることに。卒業するまでに離婚が片付いてしまい、そのせいか弁護士への情熱は消えてしまったのですが(笑)、学生時代に翻訳のヒット作に恵まれました。もともとアメリカの弁護士ものの小説が好きで、いつか翻訳できる時にこの経験が役に立つかな、司法試験は老後の楽しみにするのもいいかななどと考えています。

「計画性ゼロ、無謀」。諦めた夢? 数知れずです(笑)

 ね、だから、「すごいですね」なんて言われるけれど、計画性はゼロなんです(笑)。原動力は、身の回りの不便なことを自分でなんとかしたいという気持ち。翻訳ものが読みにくいから自分で読みやすくしたいとか、弁護も自分なら女性の立場に立ってこうしたい、とか。今は大学で英語を教えてもいますが、翻訳するよりもそもそもみんなが英語を読めた方がいいじゃない?という気持ちからです。

 ビジョンはあるからやってみるけれど、叶わないことの方が断然多いんですよ。弁護士も諦めているし、翻訳だってずっと翻訳業に携わっている方と比べればまだまだ。ありがたいことにたくさんお仕事もいただくようになりましたが、今後についてはまた他にやりたいこともあり、現在準備中です。

〝世界は思うほど悪くない〟
人々の認知を変えた一冊

情報や思い込みに流されず、自分で正しく
判断するためのヒントをくれる『ファクトフルネス』。
「これからの時代、世界や自分をありのままに見る
ことが大切だと私自身も気付かされました」

子育ては、
やる気になるまで放任が
今のところ功を奏しています

 子どもたちは2人とも大学附属の学校を辞めてアメリカで学びました。下の娘は日本の附属校時代全然勉強をせず、20点を取ってきても「勉強しなさい」とは絶対言いませんでした。こらえて「20点も取ったんだね、すごい!」と育てたので、本人たちは本当にそう思っていると思います(笑)。勉強は嫌いにならなければいつかするものですし、人はないものを欲しがりますから“飢餓感”が大事。いつか勉強したいなと思った時に、自分ってやればできるんじゃない?と勘違いできたらそれでいい。そう信じて待っていたら、娘は高校生になってから俄然勉強し始め、アメリカの高校で学年総代になりました。だけどずっと見守っていたわけでは全然なくて、テストの結果もほとんど見ていなかったんです。見ると口を出したくなっちゃいますからね。

 思い返せば、自分も一度も勉強しろとは言われませんでした。父はとても保守的で“女に学はいらない”というタイプでしたが、母は勉強好きで自分の分も大学に行って欲しいと思っていたようです。するなと言われればしたくなるというのは、図らずも父母から学んだことで、今もその作戦は続けています。たとえば子どもにも海外の大学院に行って欲しいと思うなら、まず親がどこかの大学院なりに実際に行って、その世界を見せることだって、やろうと思えばできます。子どもは親の言葉ではなく行動を見ていると思います。身近に感じられれば「私も」と思うもので、行動を起こせばなんでも確率は「0%」ではなくなりますから。

 私はまた翻訳家以外の職業も模索しています。実はこの歳で、思い切って昔からの親友2人と新しい事業に挑戦することにしました。あと先考えないタイプで、今は人生で一番楽しいような気もしますが、むしろこれからもっと楽しくなるとしたら今が一番楽しくない時なのかも、とも思ったりしています。
※本誌掲載内容に一部加筆しています(2021年6月4日現在)

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Profile

関 美和さん

関 美和/翻訳家。慶應義塾大学文学部、法学部卒業。杏林大学外国語学部准教授。電通、スミス・バーニーを経てハーバード・ビジネススクールでMBAを取得。モルガン・スタンレー投資銀行を経て、クレイ・フィンレイ投資顧問東京支店長。退職後『FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』(¥1,980/日経BP)など数々のヒット作の翻訳を手がける。

 

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撮影/高橋真人 取材・文/有馬美穂 編集/羽城麻子

*VERY2021年6月号「関 美和さんが43歳で外資系投資会社を退職し、『FACTFULNESS』を翻訳した理由。」より。
*掲載中の情報は誌面掲載時のものです。

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