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AHKAH創業者・福王寺朱美さん『人と人との繫がり、ありがたみの実感は60歳を越えてから』

人生折り返し地点ともいえるNaVY世代、まだまだパワーはある。なだらかな道を歩み続けるしあわせもあるけれど、もうひと山越えた景色も見たかったり。次なるステージを決めたばかりの申さんと福王寺朱美さんが語らう「人生の楽しみ方」。

福王寺朱美さんと × 申 真衣さん

仕事を通して人生を長く楽しむコツ

「GENDAの社長退任。ひとつのフェーズが終わりました」ーー申さん
「AHKAHは事業というより辛い時期の逃げ道ではじめたもの」ーー福王寺朱美さん

キャリア、人生経験を重ねたNaVY世代、ふと立ち止まり「この先」について考える年頃でもあるように思います。そこで申さんからお名前があがったのが、福王寺朱美さん。ジュエリーブランドAHKAHの創業者であり、現在はアーティストとしてご活躍されています。まずは、お二人の接点についてお聞かせください。

 

申さん:パーティなどでご一緒する機会が多く、お嬢さんの彩野さんとも仲良くさせていただいているので、ご挨拶は何度も。はじめてゆっくりお話できたのは、ラグジュアリーブランド主催のランチ会と記憶しています。

 

福王寺さん:そうでしたね。申さんについては、ゴールドマン・サックスにお勤めのときから「東大卒のすごく優秀で、モデルのような女性がいる」という噂は耳にしていました。実際にお会いしたら、穏やかで優しくもあって。才色兼備とは、このことかと。連載にお招きいただき、とても光栄です。

 

申さん:こちらこそ、ありがとうございます。私が福王寺さんとお話ししたいと思った理由に、昨年のGENDAの社長退任があります。自分の中でひとつのフェーズが終わったいう感じがあって、考えるのはこの先の動き。福王寺さんがAHKAHを事業譲渡するまでの心の動きや、大成功を収めながらもアーティストとして新たな挑戦をされた理由などをお聞きすることで、見えてくる、広がる景色があるのではと思いました。

 

福王寺さん:AHKAHは正直いうと、事業というより辛い時期の逃げ道として始めたもの。当時、急に離婚しなければならない状況となり、このネガティブな気持ちを、どうしたらポジティブに変換できるかと策を探しました。宝石商の父の元で育ち、宝石鑑定士である自身のキャリアを活かすなら、ジュエリー作りしかないと。当初は個人で小さく物作りするイメージでスタート、事業として展開しようと思ったら怖くなっていたかもしれません。

 

申さん:そうだったんですね。事業として展開するきっかけは何だったのでしょうか?

 

福王寺さん:一緒にジュエリーを作ることになった学生たちの存在が大きかったです。自己資金は、鑑定士時代に貯めた600万円。誰かを正式に雇うことはむずかしく、「ジュエリーを作りたい」という思いのある学生たちをアルバイトとして雇い、成長したい夢を持つ彼らに、自分の宝石と美術の知識を教えることで私自身が学ぶこともありました。まっさらで無垢な彼らと一緒に夢を築き上げていくことが、そのとき何よりの励みであり癒しでもありました。それが大きなエネルギーとなって、消費するアクセサリーではなく「ずっと愛せる本物のジュエリーの魅力を伝えること」を目指し、会社の創業を決意しました。申さんは今、私がAHKAHを創業した頃と同じぐらいの年齢。若い世代の意見をどのように捉えているのでしょうか?

 

申さん:基本的には、若い人のほうが“合っている”と思うようにしています。私よりも、今を生きている人たちなので(笑)。

申 真衣さん
『得意なことを繰り返す人生はつまらないかも?新しいことに挑戦したい』

ブラウス¥132,000(ホソオ/ホソオ トウキョウ)パンツ¥44,000(mtmodelist)ピアス[片耳価格]各¥330,000~(ともにTHAR/和光 本店地階 アーツアンドカルチャー)シューズ¥193,600(ピエール アルディ/ピエール アルディ 東京)

―――AHKAHがTASAKIへの事業譲渡を決めたのが、福王寺さんが60歳のときのこと。40歳で再スタートした福王寺さんが、次なる転機を決断したタイミングが気になるところです。

 

福王寺さん:本当は50歳でAHKAHをやめようと思っていました。やり始めたら夢中になってしまう性分。10年しか息が続かないと思ったんです。でも、いざそのときを迎えてみたらAHKAHは一番勢いがある時期で、今自分が抜けたら全部終わってしまうという状況。なので、あと10年間頑張ろうと。60歳というゴールを決めて、50歳から取り組んだのがAHKAHの海外展開。創業当初、学生たちに話した私の理念が“世代、国境、時代を越えることのできるジュエリーのクリエイト”だったので、国境を越えることに挑戦しました。今みたいにオンラインが発達していない時代。国境を越え続けるには私の体力的にもAHKAHの体制的にもむずかしく、その道の途中から海外展開をしている企業とのパートナーシップを検討することにしました。

 

申さん:当時のAHKAHの人気や業績を考えれば、いろんな企業から魅力的なオファーがあったのではと想像します。

 

福王寺さん:そこは慎重になりましたね。TASAKIとのパートナーシップも、こちらから提案をさせていただきました。

 

申さん:受け身ではなく、ご自身で選択と決定を繰り返し、AHKAHを望むように成長させているのがすごいですね。ビジネスにおいて魅力的な話が来たときに、我慢するのは意外とむずかしいと思うんです。ベストでなくても今ある選択肢のなかで「とりあえず前に進もう」と考えてしまいがちなのかなと。

 

福王寺さん:選びすぎて成長を遅らせたかもしれません。でも、AHKAHの理念や社員の働く環境が崩れないために“身の丈プラス”で成長を実施したことで、失敗することもありませんでした。会社の規模が大きくなるにつれ、経営者とクリエイターの両輪で走り続ける限界を感じたとき、私はクリエイターとして生きていくことを選択したいと思ったんです。

 

申さん:昨年、アーティストとしてアートフェアに作品を出展されていましたよね。ジュエリーとアートは同じ創作活動ではあっても、見る人が違う気がします。自己開示的な側面もあるアートを、そういった方々に向けて披露する怖さはなかったですか?キャリアを築くほど、怖くなりそうな気がするのですが。

 

福王寺さん:私の思想がまっすぐ表れた作品を見た方々が、どういう感想を持つのか。自分のネットワークを超えたところでの素直な反応が知りたい気持ちが強かったです。

 

申さん:大きな成功を収めたあとも、ジャッジされることを恐れず「知りたい」と思える、その好奇心がとっても素敵です。

福王寺朱美さん
『人と人との繫がり。ありがたみの実感は60歳を越えてから』

チョーカートップ¥440,000~ベルト¥88,000ピアス[片耳価格]各¥330,000~(ともにTHAR/和光 本店地階 アーツアンドカルチャー)その他すべて私物

―――今年1月にはジュエリーブランド「THAR」を立ち上げた福王寺さん。70歳を迎えた今も挑戦し続ける姿に勇気をもらう女性たちは多いはずです。

 

福王寺さん:「THAR」についてはディレクションは私が担当していますが、製作を手がけるのはこれまで一緒にやってきた仲間たち。ブランドの基盤が出来れば、私がいなくなっても彼らで続けていくことができる。人生も仕事も循環、自分だけだとその流れが滞ってしまいます。他の誰かのために動き、そこに感謝が生まれ、良い関係が出来上がり、ともに幸せになる。結局、人生とは人と人との繋がりだと気づいたのは、60歳を越えてからかもしれないです。

 

申さん:人生の勉強は長いですね。私は会社員を辞めるときに周囲にいた人がワッといなくなって、GENDAを上場させたときにグッと人が押し寄せて、社長を退任したらまた人がサーッといなくなっていくのを経験。自分は人を肩書で見ていないかと、改めて考えるきっかけとなりました。肩書ではなく、人と人との繫がりの方がきっと関係は長く続きますし、それが信頼できる仕事関係に発展することもあると実感してきたところです。

 

福王寺さん:申さんのご経験もとてもよくわかります。私は好きなものやキャリアといった“自分の内側に存在する種”を新たな仕事の挑戦の舞台に選んだことが良かったと思っていますが、申さんは次のフェーズをどう進みたいと考えているのでしょうか?

 

申さん:実は先日、決めたばかりなんです。会社員を経て、GENDAを共同創業し、M&Aを繰り返して成長していくという成功パターンを作り、上場することもできました。失敗しないためには似たようなことをするのが一番だと思うのですが、私は逆に「得意なことを繰り返す人生はつまらないかも」と、まったく違うことをやってみようかなと。

 

福王寺さん:素晴らしいエネルギー。どんな道を選ばれたのか、とても楽しみです。

 

申さん:福王寺さんのような方の話を聞きながら「自分がこの先、どうありたいか」のシルエットを作り上げていく。道を切り開く憧れの先輩がいることは本当にありがたいなと思います。

profile
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福王寺朱美さん
1955年生まれ。宝石商の父の遺志を継ぎ、GIA宝石鑑別士、ダイヤモンド鑑定士の資格を取得。1980年より日本画家 福王寺一彦のアシスタントとして美術界に携わる。1997年AHKAHを創業。2018年AHKAHがTASAKIグループに入ったのち、美術家として活動。2026年ジュエリーとアートの間に生まれる新しい表現を提案するブランド「THAR」を立ち上げる。

 

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申 真衣さん
1984年生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業後、ゴールドマン・サックス証券に入社。2018年に当時最年少でマネージングディレクターに就任。現在は共同創業による「GENDA」取締役。「NOT A HOTEL」社外取締役も務める。モデル、メディア出演もこなす2児の母。

撮影/嶌原佑矢〈UM〉 スタイリング/山本有紀 ヘア・メイク/神戸春美 取材・文/櫻井裕美 編集/水澤 薫
*VERY NaVY4月号『申 真衣さんの今、話したい人』より。詳しくは2026年3/6(金)発売VERY NaVY 4月号に掲載しています。
*掲載中の情報は誌面掲載時のものです。商品は販売終了している場合があります。

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