【留学体験談】予期せぬ海外赴任をきっかけに長女は単身でカナダへ留学
予期せぬ上海への海外赴任から始まり、日本人学校、インターナショナルスクールを経て、単身でカナダ留学へ。幼い頃には想定していなかった変化の中で1人で闘う海外生活を通して、強い精神力を培ったお子さんのお話です。
Vol.23 中学1年から現在も留学中
【Sさんの場合】

Vol.23 中学1年から現在も留学中
【Sさんの場合】
【留学したときの学年】
中学3年生9月~
【留学した国】
カナダ
【留学した学校】
Port Moody Secondary School,
The University of British Columbia
【方法】
トフルゼミナールを通じて
【ステイ先】
ホームステイ
【費用】
年間約425万円(学費、手数料、
渡航費など含む)
予期せぬ夫の転勤、さらに
留学先でのコロナ禍で3年間会えず。
「すべて自分でやりきる子」に
成長しました
行くまで
娘が生まれて12年名古屋在住。地元の公立中に進学させる予定でした。夫からも転勤は当分ないと聞かされていたにもかかわらず、突然上海への辞令! 娘が小6の夏でした。転勤先での学校の選択肢は色々ありましたが、語学力を考え、まずは現地の日本人学校へ。授業は日本語がメインなので安心だった反面、片道1時間半かけての通学がネックに。当初娘は突然の海外生活に戸惑った様子で心配していましたが、半年後ようやくペースが摑めたタイミングで、娘の希望で家から近く、色々な国籍の友だちと交われるインターナショナルスクールに転校。英語に慣れるESLクラスを経て半年後には普通クラスへ。また、夫の赴任予定が3年だったので、インターに転校した時点で、その先の高校進学に留学も視野に入れるようになりました。翌年の夏、高校進学を見据えて現地の教育サポートに相談した折、トフルゼミナールを紹介されました。生活面は中国語でしたが学校は英語だったので娘は英語圏での学校生活を希望。日本の私立高校への帰国受験も考えましたが、学費+日本での寮費も加えると、留学する選択肢も日本に娘だけ戻る選択肢もそこまで変わらないかと思えてきて。最終的には治安面や中国語を学べる環境などを考慮し、カナダのバンクーバーにエリアを絞り、ホームステイでの留学を選択。学校のリクエストには、小学校から続けていた音楽活動に強く、国際バカロレアを持つ公立校を。国際バカロレアの公立校は人気で、1年前の時点で定員が埋まっている学校もあり第3希望に決定しました。入学審査に求められたものはトフルのスコアと英語のエッセイ。当時のトフルのスコアは70程度でしたが、渡航時までの期間でさらにスコアを上げて出発。私と夫は上海、娘はカナダでの生活が始まりました。
行ってから
赴任当初の娘は、海外生活が受け入れられていない様子でしたが、2年間を上海で過ごしたことで精神的にも成長。幼い頃から共働き家庭だったこともあるのかもしれませんが、内向的な部分もありつつ芯は強い子に育ちました。留学する時点で卒業前提だったので、本人的にも覚悟は決まっていたと思います。上海時代から続けていたトロンボーンをきっかけに、カナダでもジャズバンドやオーケストラ、地域の音楽活動に積極的に参加していたようです。カナダに留学して2年後、大学進学の選択肢を考えていた矢先のコロナ禍。それまでは休暇で帰国する際パスポートを忘れ、ホストファミリーに取りに行ってもらうなんていう笑い話というかアクシデントもありましたが、コロナ禍以降は一旦出国すると再入国できないリスクがあったので、実に3年間も帰国せず。LINEなどではやりとりしていましたが、直接会うことはできませんでした。結果、日本の大学は諦め、高校から近いバンクーバーエリア内の大学を選択(当時カナダでは国内の大学見学もできないほどでした)。コロナ禍に翻弄されつつも、進学先も自分で決め、手続きもすべてやりきりました。3年ぶりの再会で成田空港へ迎えに行った時には、娘の凄まじい成長を実感。すべて自分で考え行動しないといけない状況で、精神力が培われたのでしょう。娘はこの9月からカナダの大学生活が始まりました。親である私たち夫婦は最終的に5年上海に駐在し、昨年帰国して今は関東に。その後、私自身も仕事復帰し、それぞれ離れた地で新しいスタートを切ったところです。
撮影/相澤琢磨 取材・文/鍋嶋まどか 編集/羽城麻子
VERY NaVY12月号『実例・我が家の留学体験記』より。詳しくは2022年11/7発売VERY NaVY12月号に掲載しています。*取材内容は、留学当時の情報になります。