【留学体験】娘のステイ先が現地で二転三転…コロナ禍の進路模索でも逞しく成長
今回お話をうかがったのは、娘をカナダに留学させたお母様。兄に続き2度目の留学は予想外にトラブル続きだった様子。そんな中でも現地で部活を立ち上げ、ボランティア活動を行うなど、自分の決めた道をタフに進むお子さんの成長物語です。
Vol.14 高校2年から2年間留学【Tさんの場合】
Vol.14 高校2年から2年間留学【Tさんの場合】
【留学したときの学年】
高校2年生4月
【留学した国】
カナダ
【留学した学校】
PATTISON HIGH SCHOOL(高校2年生4月~9月)
École Salish Secondary School(高校2年生9月~)
【方法】
現地エージェントをプライベートエージェントに変更
【ステイ先】
ホームステイ
【費用】
年間約500万円(学費、ホームステイ代、エージェント代、お小遣いなど含む)
安心していた2度目の留学。着いてみたら
娘のステイ先が決まっていませんでした!
行くまで
きっかけは、娘が小学生の頃。5歳年上の長男が高校留学していたカナダへ母子で訪れた際、〝高校で留学〟を意識し始めたようでした。もともと英語が好きだったので、小学生から英検を受け始め、中学生のうちに準1級を取得。長男の留学経験も踏まえて、高校1年までは日本の教育を受けさせたいと考えていたので、行き先は長男と同じカナダへ、高2からの留学に焦点を合わせて準備していました。カナダの新学期はアメリカと同様に9月、普通なら1学年落とした上で、新学期に合わせて旅立つことが常ですが、4月から入って単位を取得できる私立高校からスタートして9月で別の学校に転入すれば、2年3カ月で卒業できるというアドバイスを受け、9月から新設されるパブリックの高校に転校する前提で、在学中の高校を退学し、高校2年の4月から娘のカナダ留学をスタートさせることとなりました。
行ってから
留学の地はカナダのバンクーバー。学校の決定まではスムーズだったものの、バンクーバーへ出発したタイミングでもホームステイ先が決まっておらず、同行した私も帰国するにできない状況に。その上ようやく決まったステイ先は、リクエストしていなかった日本人のご家庭。留学期間中は日本人以外のご家庭でのステイをお願いしたいと改めてリクエストして次に決まったステイ先は留学生10人ほどが男女共同で過ごす合宿所のようなご家庭。その後別のご家庭へ移動したりとステイ先に関しては最初の1年半ほどはトラブル続き。結果、プライベートエージェントに変更して、イタリア人のホストに巡り会いようやく落ち着いて過ごすことができたようです。長男の留学経験もあり、自分自身も留学に関する知識やコミュニティは詳しかったつもりでいましたが、現地エージェントとのトラブルが、当時はかなりストレスでした。
そんな中でも9月から転入した新設の公立高校では、娘が先頭に立ってがん検診を啓蒙するウェルネス活動に取り組む部活を立ち上げるなど積極的に過ごしていたようです。娘が小学生の頃、父親ががんになり闘病した経験がきっかけで、日本でもボランティア活動を行っていましたが、末っ子気質で比較的何事も受け身だった娘が、まさか留学先で部活を立ち上げるとは!現地の小学校を訪れて折り紙を一緒に折っては、がん闘病中の方にプレゼントするなどリーダーシップをとり、最終的には現地の生徒が19人も参加してくれたそうです。
卒業先の進路としては、昨年のコロナ禍に最終学年を迎えたこともあり、進路の選択肢にも大きな影響を受けました。ロックダウンが続く中、アメリカへの進学は諦め、自由選抜入試で日本の大学を受験することに。ロックダウンにより、TOEFLの試験などもリモートで受けざるをえなかったため、全て遠隔で手配をするなど、卒業して帰国してからも急ピッチで大学受験の準備を。新設校ゆえに書類の手配にも苦労しました。トラブルから始まりコロナ禍にも振り回された娘の留学でしたが、その分タフな逞しい娘となって帰国してきてくれました。おっとり気質の娘が、自分の意志で選択をし、自分の道を決められる大人に成長していました。また、幼稚園から付属校へ通っていたので、大学受験は娘にとって人生初の受験でしたが、強い意志と沢山の経験のおかげで、合格をいただくことができました。帰国後もがん検診を啓蒙するボランティア活動を続け、社会課題の解決に取り組む若者に対して贈られる「若者力大賞」を受賞するなど、自分の力で前へ進む力が大きく育まれたと親として実感しています。
撮影/草間智博〈TENT〉 取材・文/鍋嶋まどか 編集/羽城麻子
VERY NAVY10月号『実例・我が家の留学体験記』より。詳しくは2021年9/7発売VERY NAVY10月号に掲載しています。取材内容は、留学当時の情報になります。