2021年に急逝した直木賞作家の山本文緒さん。現在、生前最後の長編小説『自転しながら公転する』がテレビドラマ化され話題を呼んでいます。小説発表時には「家事も育児も仕事も、それから親の介護、自分の老後の始末も……」とやらなきゃいけないことを山ほど抱えて戸惑うVERY世代に向けメッセージをいただきました。ドラマ化に際し、当時のインタビューを特別公開します。
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※VERY2021年3月号に掲載された記事を再編集したものです。
PROFILE
山本文緒さん(やまもと・ふみお)
1962年神奈川県生まれ。会社員生活を経て作家デビュー。1999年『恋愛中毒』で吉川英治文学新人賞、2001年『プラナリア』で直木賞を受賞。2003年、うつ病を発症。前年に再婚した夫に支えられながら闘病、2007年に『再婚生活』で復帰。その後、『自転しながら公転する』刊行翌年の2021年に膵臓がんにより急逝。『なぎさ』『ばにらさま』他、今も多くの読者に愛される著書多数。
その悩みは、もしかしたら
「時代のせい」なのかもしれない
──主人公の都が仕事や恋愛、親との関係に悩む姿に感情移入する読者が多そうですが、物語にある仕掛けがあって、エピローグまで読むと新たな驚きが。もう一度読み返してみたくなる小説です。
あらすじだけを言えば、「非正規雇用で働くお金のない二人の恋物語」ではありますが、話の中で「時代の価値観の推移」も描きたかったんです。仕事、恋愛、親の介護問題……都はいつも悩んでばかりいる女性です。「彼女の気持ちがよくわかる」という感想をたくさんいただくとともに「悩んでばかりで自分勝手な都にイライラする」「主人公のことが大嫌い」という方もけっこういるんですよ(笑)。都が自分を取り巻く人間関係や仕事のことで悩んでいるのは確かなのですが、単に個人の問題ではなくて、実は「今の時代に言わされている」「個人的な悩みだと思わされている」部分があるということ。500ページ弱の長編になりましたが、刻一刻と価値観が推移していくさまを長いスパンで表現したかったんです。
──二人は結ばれるのか、都の悩みは解決するのか、と先が気になって、読み進めるうちに、いつのまにか自分の価値観も揺さぶられ……。
読後、ただモヤモヤと悩んでしまうような本にはしたくなかったんです。寝転びながら読んで「ああ面白かった」と思ってもらいたかった。いままでは物語の結末は読者の方の想像にゆだねることが多かったのですが、時代の変化を描く中、日本の経済も、都の働くアパレル業界も先細りとなることが予想される中、たとえば正社員になっても、結婚がかなってもその先の人生がずっと安泰とは限らない。物語の中では「都のその後」も書いています。
幸せにならなきゃって思い詰めると、ちょっとの不幸が許せなくなる。少しくらい不幸でいい。(『自転しながら公転する』新潮文庫より)
──思わず線を引きたくなるような、ハッとするような言葉に出会うことが多くて。都の友人たちの会話もとてもリアルで驚きました。恋愛感情だけではその後生活できない、とシビアに相手の経済力や将来性をジャッジする絵里と、それに反論するそよか。どちらの言葉にも一理あると頷いてしまうのは時代の過渡期にいるからでしょうか。
絵里のほうに共感する人が多いだろうなと思っていたのですが、そよかのほうが好きという意見が多くて驚きました。私の世代では絵里みたいな感覚の人が多かったように思いますが、時代は確実に変わってきているんだなと感じました。どの人物に自分を投影するか、物語のどんなシーンが響くか、読む方の置かれた状況によって変化するように書いたつもりです。それは年齢や性別だけによるものではなく、主人公の年齢に近い若い世代でも、育児中なら母親の心情のほうに共感するかもしれないし、中年の男性から、今も独身で親元で暮らしているから主人公の気持ちがすごくよくわかるという感想もありました。
夫婦二人だけの「結婚」って
到底無理なんじゃないかと
──あるインタビューで、「結婚とは何なのか。なぜつがいになるのか。三人でもいいんじゃないか」と話されていたことも印象に残っています。私自身、いまだにさっぱりわかりません。
夫婦二人だけで一つの家庭を作って、子どもを産み育てるというのは、ちょっと無理があるんじゃないかなと思うことがあります。祖父母がそばにいて手伝ってくれるとか、お金をかけて家事や育児を外注できるならどうにかなるかもしれませんが、それができる人ばかりではないですよね。これはなんとかならないかなと。長い歴史の中で、一夫多妻制になったり、大人と子どもが別々に暮らしたり、国ごとの風習や宗教によってはいろんな「結婚」の形を試してきたのでしょうが、なかなかしっくりくる形を見つけられないままここまで来た気がします。動物としては夫婦ペアになることが自然でも、どこかひずみが出てしまう。長い時間と人類の叡智をもってしてもどうにもならないということが不可解であり、また面白くも感じるところです。
「時代の価値観」と
「自分の本心」を分ける
──ご自身は離婚、再婚を経験されています。
私も親の価値観の影響が抜けるまでに時間がかかりました。早いうちに親元を離れていればまた違うのかもしれないけれど、狭い地域で暮らして、お父さんお母さんのことが大好きでその価値観を刷り込まれていくと、時代の価値観と自分の本心を分ける作業がすごく難しくなると思いました。離婚してよかったかと聞かれれば、それはもちろんです。私の場合はたまたま最初の結婚を間違えただけなので。別に離婚を奨励するわけではないですが、就職する時だって新卒で最初に入った会社が自分に合うとは限らないじゃないですか。離婚や再婚も同じだと思います。
──仕事を続けながら、結婚して子どもを産み育て、かつ自分や親の老後に備えなさい、と長く言われ続けてきたので「手放してもいい」「背負いきれない荷物はおろしていい」となかなか思えない。すべてを抱えるなと言われても一度刷り込まれた価値観はなかなか完全に消えません。
一度に食べられる量って人によって全然違いますよね。カツ丼の大盛やネタ盛り放題の海鮮丼が余裕でいけるという人もいれば、そんなに食べられない人もたくさんいますし、ウニも大トロもと欲張った分だけお金もかかります。皆、適量は違うはずなのに、仕事や結婚、育児や介護となると皆、すべて同じ量を消化しなくてはいけないように思わされてしまうことがありますね。
──「サボっている」「皆ができて当然のことができない」というふうに思ってしまうことがあります。頑張りすぎないでいい、とアドバイスされても、これは自分だけに都合がいい意見だ、と見ないふりをしてしまいます。
誰かにサボってると言われましたか?(笑) 閻魔大王に言われたわけでもないのに自分に都合がいい意見だけを取ることの何がいけないのでしょう? 刑罰でもあるんですか。ちょっとひどいと思われるかもしれないですが、「ひょっとして我慢すること自体が大好きなんじゃないか?」と思うほど、皆さん本当に我慢強いですよね。「働いて子どもを産んで、かつ身綺麗にして、老後資金を貯めて、家族に迷惑かけずに死んでいく」まですべて自己責任でこなさなければいけないような風潮がありますが、全部一人でやるのは無理なんですよ。皆、よくそれを当たり前のようにやろうとしているなと感じます。中には、「私は全部やりたい。欲しい」と言ってそれが生きる原動力になるタイプの人もいるけれど。そういった生き方が無理な人はどれかをあきらめないと自分がつらいだけだと思います。私自身もこれは無理、あれも無理とずいぶん手放してきました。
『自転しながら公転する』(新潮文庫)
東京のアパレルショップで働いていた32歳の与野都(みやこ)は、母親の看病のため茨城県の実家に戻り、地元・牛久で働き始めるが、職場ではセクハラなど問題続出、実家では両親ともに体調を崩してしまい……。将来の見えない恋愛、家族の世話、そのうえ仕事も頑張るなんて、そんなこと無理! ぐるぐる思い惑う都の人生の選択から目が離せない。ページをめくるごとに、はっとするようなセリフと出会い、いつの間にか凝り固まった自分の人生観や価値観が揉みほぐされ変化していくような一冊です。
取材・文/髙田翔子
写真/古本麻由未
編集/フォレスト・ガンプJr.