読者モデルとして活躍し、独身生活を謳歌していた37歳のとき、突然乳がんの宣告を受けた堀切由美子さん。がんに気付いたきっかけは、たまたま参加したヨガのレッスンでした。闘病の後、出会った相手と結婚。夫婦二人で新しい生活を築いている堀切さんに話を聞きました。
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2019年4月号に掲載された記事を再編集したものです
Profile
堀切由美子(ほりきりゆみこ)さん
1975年、埼玉県越谷市生まれ。学生時代から、ファッション・美容誌の人気読者モデルとして活躍。IT、ゲーム業界やジュエリーブランドなどで働き、充実した日々を送っていた37歳のときに、突然右乳房にがんが発覚。投薬、手術の末、寛解。手術をした翌年に結婚。
公私とも充実していた私の胸に、突然違和感が……
乳ガンを宣告されたのは37歳のとき。まだ独身で、お付き合いしている人もなし。ただただ仕事が楽しくて、当時は表参道に住んでいて、忙しくてもそんな生活を満喫していました。
埼玉県越谷市に生まれました。妹と弟がいます。短大時代は、友人の誘いでCanCam、JJなどで読者モデルを始め、ミス越谷にも選ばれ、公務イベントなどにも出演。その後、半導体の会社に就職し、営業成績が良く社長賞をいただくこともありました。土日はほぼ毎週、雑誌やサロンモデルの撮影に呼んでいただき、もうとにかく楽しい日々でした。今振り返ってみると、怖いものなしだったなぁと思います。2002年頃、個人ブログを開始。その頃、人気のファッション誌で活躍していた読者モデルたちがファッションやビューティなどの情報を発信するガールズゲート ドットコムのメンバーにも選ばれ、今のインフルエンサーと呼ばれる方々の、いわば走りだったと思います。
たまたま行った「ヨガ」ががんに気付くきっかけに
乳がんに気付いたきっかけは、溶岩ヨガでした。ずっと通っていたわけではなく、ブームだったこともあり、友人と体験に行ってみたのです。溶岩が敷き詰められた室内で体を温めるために、通常のヨガよりマットに横たわるポーズが多かったのですが、うつ伏せになったときに右胸の内側に硬いゴルフボールを挟んでいるかのような違和感があったのです。毎日ブラジャーをつけるときに胸の外側には触れますが、内側は意識的に触らないと全く気付かないものです。
すぐに乳腺外科がある病院に行くと、そこで乳がんの可能性が高いことを告げられました。がんを心配して病院にかかったのですが、どこかで何事もないんじゃないかと楽観的に考えていた自分もいて、この日は両親には付き添ってもらってはおらず一人でした。すぐに大きな病院で、詳しい検査を受けるように言われました。
母は今回の取材に都合がつかず参加できませんでしたが、そのくらい忙しく元気に活動しています(笑)。
まさか私が!? 仕事はどうしよう?
自分ががんだと言われると、ダジャレみたいですが、ガーーンというのが本当にピッタリくる言葉でした。えー私が⁉ まさか! 自分ががんだという実感が湧かず、自分の体や命、これからの治療のことよりも、仕事どうしよう?ということをまず心配していました。
すぐに実家に電話をすると、母はものすごく心配してくれました。父は「困ったことがあったら何でも言ってきなさい」と冷静なコトバをかけてくれました。両親の声を聞いたら、安心したのをよく覚えています。おそらく実感が湧かなかったのではなく、瞬間的に自分が傷つかないバリアみたいなものを発生させていたのかもしれません。それがすーっと溶けていくようなそんな安心感がありました。
紹介状を書くにあたりどこの病院がいいか聞かれましたが、突然乳がんと言われ、もちろんどこの病院が良いかなど知識はなし。そこで、女医さんに「先生が一番いいと思う病院を紹介していただけますか?」と言いました。その先生が紹介状を書いてくれたのが、虎の門病院の川端英孝先生宛てでした。