症状は進行していますが
家族の支えで前向きに
脊髄小脳変性症には、まだ根治できる特効薬はなく、セレジストという進行を遅らせる薬を服用していますが、ゆっくりと徐々にできなくなることは増えていきました。
発症してからも、主に座りながらできる事務のパートは続けていましたが、3年ほど前(取材当時。以下同)、駐車場に車を停めて、会社に向かおうとしたときに派手に転んで花壇に顔から突っ込み、額を6針も縫うというアクシデントが起きてしまいました。それは傷以上にショックな出来事でした。そんなこともあり、退職。自分の足で出歩くことが怖くなり、自宅では歩行器、外では車イスの生活になり、2年ほど前に障害者3級、2018年に2級の認定を受けました。
夫のコトバ……
「行ける限り、いろんなところに行こう」
体を自由に動かせない肉体的なもどかしさはあります。しかし今は不思議と精神的な喪失感はありません。それはこの難病が本当にゆっくりと進行する病であるため、受け止める時間的猶予があること、そして体の自由と反比例するように、家族や友人たちがいつも私を気遣ってくれる優しさをたくさん感じているからだと、感謝しています。
発症前はそこにあることも気付かなかったような数センチの段差も、今は大きなハードル。例えば、家族で登山に行くのも、足に異変が出てから私だけロープウェイで山頂へ行き3人を待っているようになり、今ではそのロープウェイの乗り降りが難しくなりました。でも夫は、「行ける限り、いろんなところに行こう」と行き先のバリアフリー環境などを率先して調べてさまざまな事前手配をしてくれたり、車イスを余裕で乗せられるハイエースに車を買い替え、遠出を躊躇してしまいがちな私を外に引っ張り出してくれています。このゴールデンウィークも千葉県館山に行き、家族で楽しい時間を過ごしました。外出時、手を借りて歩いていると、「ちゃんと腰を起こして!」「膝を使って!」とけっこうスパルタな一面も……(笑)。私もその叱咤激励に応え、行ける限りもっと思い出を作りたいと前向きに。おかげで行けなくなった、できなくなったとクヨクヨする暇はありません(笑)。ママは足が不自由で、普通の家族みたいにはいかないことも多いけれど、子どもたちには、あーだこーだ小言を言いながら支え合っているこんなパパママの姿を見せていくことで、何かを感じ取ってくれたらいいなとも思っています。