何もできなくなったと嘆く
私が気付いた家族の存在
リハビリは早ければ早いほど良いそうで、意識が戻ってからは即開始しました。最初は「ママ死んじゃうの?」と不安な顔を見せていた長女。学校では気丈にしているけれどやっぱり無理しているように見えると担任の先生に言われながらも、1日も休まず小学校に通っていると後になって聞き、私はリハビリだけに集中することができました。私なりにもの凄く頑張ったつもりです。でも、麻痺というのは、それを摑みたいのに摑めなくてもどかしいというより、自分の手足の存在を忘れてしまう感覚。自分の手足なのに、じっと見つめながら「動け~」「動け~」と念力を送っているような感覚でした。頑張っても急に良くなるわけではなく、心が折れることもありました。歯磨きがしたくても歯ブラシに歯磨き粉さえつけられない。洗顔するにも洗顔フォームも出せない。化粧水はボトルからどう出す? 全てつい最近まで当たり前にできていたこと。過去の自分や、励ましてくれる夫や看護師さんたちにさえ嫉妬してしまいました。あなたたちはできるじゃない? って。
三女を出産前、今度の産休中は家族のために時間を使って、子どもたちといっぱい遊びに出かけたり、手の込んだ料理を作ったり、掃除を頑張ったり家のことをやって、夫や子どもたちが居心地の良い家にしたいなと思っていたんです。でもそんなことすらもうできない……。それに三女を抱っこできたのは数日。もうおっぱいも止まってしまったし、何もしてあげられない。ごめんね、ごめんね……と自己嫌悪に陥っていました。
両親のコトバ……
「リハビリを1日ぐらい休んだっていいんじゃない?」
そんなささくれたった気持ちをぶつけられるのも家族でした。母は「十分頑張っているんだから、リハビリ1日くらい休んだっていいんじゃない?お母さん、先生に電話してあげようか?」なんて、娘何歳だと思っているんだよ〜と思うようなことを言ってくれたり、夫は「生きていてくれているだけでいい」と言ってくれたり。家族って何かをしてあげたから何かをしてもらえるのではなく、いてくれるだけで十分満たされるんだと思いました。入院中、初めてお見舞いに来てくれた長女に言われた「ずっと一緒にいようね」というコトバ。これに尽きる気がします。この家族、誰ひとり欠けないようにしたい。
お世話になりっぱなしの両親。父は「何も心配しなくていいから」と生活の基盤を守ってくれました。