夫婦ともにコンサルタントとして活躍するほか、ダウン症の長男を通して出合った日本ダウン症協会でのボランティア活動でも貢献を続ける坂井ファミリー。これからの研究や海外との連携などに寄与したいという未来への展望を取材しました。
家族のコトバ
娘からのコトバ
こうくんが歩ける
ようになったら
手を繫いで歩きたいな
3歳の娘はまだダウン症について理解していませんがお世話をしてあげる存在として認識しています。2歳の息子「こうくん」は好きな遊びに熱中するタイプ。
夫は同じ大学で所属していた日本外交ゼミの同級生。合宿で出会いました。互いに野球好きという共通の趣味があり程なくしてお付き合い、4年後に婚約。コロナ禍で結婚式が延びたものの、2021年に結婚。2年後には第一子を出産。夫は何度も繰り返し「ありがとう」と伝えてくれ、家族になった幸せを噛み締めていました。
2024年1月に第二子を出産。出生前検査はしませんでしたが、健診時にも全く問題は見受けられませんでした。ところが、生まれた瞬間に医師や看護師がざわつき、別の病院に息子だけ搬送されることに。不安が頭をよぎりました。出生4日目に染色体検査をすると告知された時には、体中に衝撃が走りました。今まで障がいのある方と過ごしたことがなく、ダウン症への理解もほぼなかったのです。この告知から結果が分かるまでのひと月が、最も暗黒期だった気がします。「私の過ごし方がいけなかった?」と。ですが、ダウン症は偶発的に、誰にでも起こり得る可能性のあるもの。そうは分かっていても、診断を受けるまでの1カ月は自分を責めてしまい、本当に辛い時間でした。
誰にでも起こり得るダウン症を
受け入れるまでの心の動き
生まれた翌日から、息子のみ別の病院に転院だったため、とても寂しく一緒にいたい気持ちでいっぱいでした。この時はダウン症の疑いとは産院から言われていませんでしたが、風貌や身体の症状を検索するとダウン症というワードがたくさん出てくるので、ひとりになってしまった病室で検索魔になっていました。助産師さんにも相談できず、ひとりで辛い時間を過ごし、家族が面会に来てくれる時間だけ少しほっとできました。染色体検査の結果がどうであれ、両家の家族が味方だと言ってくれて心強かったですし、検査に合意した後に息子と面会する時間に味わう幸せ、可愛らしさに「大好き」と感じることには変わりませんでした。
NICU・GCUの面会にほぼ毎日通って息子に会いに行っていましたが、その間にも区の保健師さんに相談してみたり、書籍を読んでみたり。保健師さんから「ひとつひとつの成長を喜んでくれるだけでも赤ちゃんはすでに幸せを感じているはず」という忘れられない言葉ももらいました。


特別扱いせずに子どもたちらしさを
応援していこうと覚悟を決めました
検査からひと月が経ち、確定診断の際に染色体のサンプルを見せていただいた時は「本当に21番染色体が3本ある!」と驚きました。と同時に、確定したことでモヤモヤが吹っ切れて、家族4人で楽しく過ごそうと思えたことを覚えています。息子の退院後、産後ケアの助産院に3日間お世話になりました。夕食をともにしたママたちから、ダウン症の子を持つ人の話を聞いたり、助産師さんから「自分の子どもが保育園にいた時、ダウン症の同級生がいて普通に一緒に遊んだりしていたから、特別扱いせず普通に接すればいいよ」と聞いたことで、身近に同じ境遇の子たちがいることをしっかりと理解できたのを覚えています。
また、友人・知人に出産の報告をする中で、天使、個性、などの前向きな言葉もたくさん貰いました。もちろんひとつひとつの温かい言葉に「ありがたい」と思うと同時に、「でもなぜこの子が?」という気持ちがどうしても溢れてしまっていたのも事実です。けれど、通院先の病院で親の会に参加したり、成人になられたダウン症の方の話を聞いたり、特化している療育の施設に赴き様々な方と交流することで、少しずつ凝り固まった気持ちがほどけていきました。中でも私のことを心配してくれた友人からの、「体調は大丈夫? そしてお疲れ様」というメッセージとともに誕生を祝福してくれ、息子に早く会いたいと言ってくれた言葉は忘れられないものとなりました。
夫は息子が生まれる際に1年の育児休暇を取得し始めたので、一緒に成長を見守れました。沖縄旅行に家族で行ったのも良い思い出になっています。
息子を持ったことで増したのは
家族の絆と私たちの成長
夫はダウン症だと分かったその日だけ泣いたそうですが、すぐにやれることをやっていこうと切り替え、「今できることを粛々とやっていくだけだから、どんな子でも一緒に育て上げよう」と、コンサル勤務らしく人生のプロジェクトとして捉えてくれました。学生時代からのお付き合いから結婚、長女が生まれて家族としての絆がしっかりとできたその上に、第二子を授かることで私たちの繫がりもさらに強まった気がします。夫と話していく中で、ダウン症とは息子本人の一部であると認識できるようになりました。
また、私自身にも変化がありました。長男が生まれたことで完璧主義ではなくなったのです。以前は、何もかもこれぐらいまではできていなきゃいけない、と自分を追い込むことが多かったのですが、この子が生まれてきたおかげで、完璧ではない私も好きになれました。今では自分自身の成長も認識できるようになり、子どもに“親育て”をしてもらった気さえしています。
長女にとって弟は、お世話してあげる存在。スクールから帰ってくると「こうくん。会いたかった!」とハグ。おままごとやごっこ遊びをしたり、普通の姉弟と何ら変わりなく一緒に遊びながら過ごしてくれています。最近は「こうくんが歩けるようになったら手を繫いで歩きたいな」と言って、成長を心待ちにしてくれています。
夫からのコトバ
どんな子でも
一緒に育て上げよう
「頑張ってくれてありがとう」と出産時にきちんと言葉にして伝えてくれた夫にはいつも感謝しています。夫と話すことで受け入れられるようにもなりました。
ゆっくりとした成長を見守りながら
世界と繫がる貢献活動を目指したい
ダウン症でありつつも幸せで、楽しい経験を重ねさせてあげたい。何かができないということに振り回されずに幸せに過ごしてもらいたいと思っています。中高部のお子さん方の様子を見ることで、個人差があるものの将来が見えてきました。最近息子は水泳を習い始め、ダウン症の方々が出場する水泳の大会を目指していきたいと思うようにもなりました。
ダウン症の日である3月21日にはイベントがあり、国連でもダウン症の方々によるディベートやスピーチがありました。日本からも参加者がスピーチをするなどの動きを知り、語学が得意な私たちはそれを活かして、世界をベースにダウン症ファミリーと研究を盛り上げるために貢献していきたいという新たな目標が生まれました。
ダウン症の子たちの助けになるのであればと、日本ダウン症協会(https://jdss.or.jp/)でボランティアを開始。夫婦で国際部の活動に参加しています。夫は帰国子女で語学が堪能なので、国際結婚のご家庭や外国人ファミリーの支援をしたり、英語のサイトがないため分かりづらい療育支援の手続きのお手伝いや、海外のダウン症協会とのコミュニケーションも担っています。そのほか、夫婦でバディウォーク東京for all(https://suplife.or.jp)や、東京おでかけプロジェクト(https://tokyoodekakeproject.com/)など、あらゆる障がいをもつ方々やそのファミリーとの交流を持てる場に積極的に参加しています。
息子は体の発育に連動し、情緒もゆっくりした成長ですが、療育支援などでも補っていき、子どもたちにはふたりとも、自分の好きなことを追求してもらいたいと思っています。
友人からのコトバ
体調は大丈夫?
そしてお疲れ様
夫が18歳の頃から懇意にしている親友の妻同士として知り合いましたが、同じ頃に出産を経験しファミリーで親しくしています。
坂井さんのHistory






Profile
坂井佳恵(さかい かえ)さん
1993年生まれ、東京都出身。東京外国語大学言語文化学部ロシア語学科卒業。在学中にはロシアへの留学経験もあり。卒業後は外資系コンサルティング会社へ。同じゼミで知り合った夫と2019年婚約、2021年結婚。2023年長女、2024年長男を出産し2025年春から日系コンサルティング会社に復職し現在に至る。長男がダウン症と診断されたことで日本ダウン症協会国際部にてボランティアを開始。日本に在住するダウン症のお子さんをもつ外国人ファミリー支援などに携わる。
撮影/吉澤健太 取材・文/金沢由紀子 編集/本間万里子
*VERY2026年6月号「家族のコトバ」より。
*掲載中の情報は誌面掲載時のものです。









