生まれつき重度の聴覚障害がありながら、持ち前の明るさと努力で難関校に進学。第一志望の企業への就職を経て起業した牧野友香子さん。自身の力で人生を切り開いてきた牧野さんも、出産後、長女の難病が判明したときには絶望したそう。そんな牧野さんを救ってくれたのは、夫や家族の言葉でした。その後の起業のきっかけとなる難病のお子さんの育児や当時の葛藤をお聞きしました。
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お互い衝撃的だった夫婦の出会い
──牧野さんの日常や、聴覚障害に関する情報を発信しているYouTube「デフサポちゃんねる」が大人気です。まるで夫婦漫才のような掛け合いで仲の良さが伝わってきますが、お二人の出会いは?
夫とは、社会人1年目の夏、友人と参加した1泊2日のキャンプで出会いました。初日は一緒にお酒をたくさん飲んで酔っぱらってしまったので、特に意識はしていなかったのですが、その後、ふと目にした彼の分け隔てない優しさや、誰とでもすぐに打ち解けるキャラクターにすぐに惹かれました。
──その後、牧野さんから積極的にアプローチされたそうですね?
それまで恋愛になかなか積極的になれなかったのですが、彼には人生で初めて自分から猛アタックしました! ちなみに、夫の私の第一印象は、「聞こえないのにしゃべれるということのすごさ以上に、帽子と服が衝撃的にダサくて印象に残っていた」そうです。写真を見るとたしかに……(笑)。当時、アウトドアだしいいやと服装には本当に無頓着だったんですよ! 夫からの第一印象はそんな感じでしたが、私のあまりの押しの強さに根負けしたのか、数カ月後にはお付き合いを始め、その約1年後にはプロポーズをしてもらいました。
会社員時代に出会った夫と2012年に結婚しました
もちろんうれしかったのですが、高校生くらいの頃からお付き合いする人がいても「耳が聞こえない自分と結婚してくれる人なんているわけない」と思っていたので、「本当に私でいいのかな?」という不安も拭いきれませんでした。それまでもお付き合いをした方はいたのですが、結婚となると別問題。仮に本人同士が良くても、「相手のご家族が賛成しないんじゃないか」と関係を進めることに不安がありました。でも義母は、結婚の話をするとこちらが拍子抜けするほど明るく賛成してくれました。今では私のYouTubeに出て、当時のぶっちゃけ話をしてくれるほどよい関係を築けています。
──YouTubeでは「いつまでも新婚のように仲良し」とお義母さまにも突っ込まれていましたね。夫婦円満の秘訣はありますか?
お互いがやりたいことを自由にやっているから……ですかね? 私自身、これまでもふらりと海外に一人旅に出かけたり、スノーボードにハマって山ごもりをしたりしてきました。英語も話せないのに家族でのアメリカ移住を提案したのも私です。夫のエピソードを話すときりがないのですが、次女を出産間近の臨月の頃に、一人でふらりと電波の届かない山奥にキャンプに行きたいと言い出したり、スケボーを抱えて保育園のお迎え時間に現れて保育士さんたちを驚かせたり。人によってはあり得ない! と感じるようなファンキーな行動も、私が無鉄砲なのでお互い様だなと思えてしまうんです。育児中の現在は思うようにいかないことも多いですが、二人とも好きなこと、やりたいことはなるべくがまんせず、家事も育児もできるほうが担当するというやり方が、私たち夫婦には合っているような気がします。
難病を患って生まれた長女。絶望したことも
──出産後すぐに、第一子に50万人に1人と言われる骨の難病があることが判明。そのことで毎日泣き崩れるほど追い詰められたそうですね。
当時は「自分の耳が聞こえない上に、子どもが難病なんて……」と、現実が受け入れられずにいました。でも、泣いてばかりの私に夫は、「どうすればいいか一緒に考えよう」と寄り添い、母も「私が育ててもいいんだよ」と励ましてくれました。二人の支えがなかったら、どうなっていたかわかりません。
ただ、今では長女の病気があったからこそ、私の人生はさらに好転したようにさえ思えるのです。あの頃は「この先、この子をどうやって育てればいいんだろう?」という先行きが見えない不安や、「難病の子を持った母親は、仕事を辞めて育児や療育に専念すべき」と思われているのではないかと気になったり、とにかく辛かったです。だからこそ、「自分のような思いをする人を少しでも減らしたい」と、難聴児とその家族をサポートする「デフサポ」という会社を起業するに至りました。
自分自身が聴覚障害者であること、また難病児の親であるという立場を活かして、障害や病気のあるお子さんやご家族をサポートする仕事に手ごたえとやりがいを感じています。正直、長女の病気がなければ、新卒で入った大好きな会社を辞めてまで起業する勇気は、私にはなかったように思うのです。
家族と。娘の難病が起業のきっかけになりました
──育児にも前向きになれた心境の変化には、何かきっかけがあったのですか?
特別な何かがあったわけではないので、時間が解決してくれたのかもしれません。娘との日々のなかで自然と愛おしさが湧いてきて、同時に育児への不安も少しずつ軽減されていった気がします。その後も、長女が大きな手術に挑むたびに弱気になる私に、夫や母、義母までもが「大丈夫、なんとかなる」と言い続けてくれたのも心強かったです。
──聞こえないことでの育児の大変さもあったのでしょうか?
そこは、「思っていた以上に大変だった」というのが本音です。子どもが泣いていても、姿が見えないと私には気付くことができませんし、子どもが喘息のときも普段とは違う呼吸音がわかりません。
日々の大変さは今もありますが、今年で10歳になった長女は、足の骨を伸ばす大手術とリハビリを乗り越え、ようやく日常生活ができるまでに成長しました。2歳差で生まれた次女は姉が大好きで、仲のよい姉妹に育ってくれています。私は人に誇れるような立派な母ではないし、この先もまだまだ何があるかわかりませんが、2人が楽しく過ごしている姿を見るのが、今は何よりも楽しみです。
PROFILE
牧野 友香子(まきの ゆかこ)さん
1988年大阪府生まれ。生まれつき重度の聴覚障害がありながらも、幼少期から読唇術を身に付け、幼稚園から高校まで一般校に通う。神戸大学に進学し、卒業後は一般採用でソニー株式会社に入社。難病を持って生まれた第一子の出産をきっかけに、難聴児やその家族を支援する「株式会社デフサポ」を立ち上げると、YouTube チャンネル「デフサポちゃんねる」も話題に。2022年より夫と長女、次女と共に渡米し、現在はアメリカ在住。
『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』(KADOKAWA・1650円)
生まれながらに重度の聴覚障害がありながらも、持ち前のバイタリティと天性の明るさを武器に人生を切り開いてきた半生を綴ったエッセイ。思春期の葛藤や失敗談、運命の夫との結婚や難病を患って生まれた長女の育児、起業からアメリカ移住まで……。母になっても社長になっても、つねに全力で夢を追いかける“七転び八起き”な日々!
取材・文/小嶋美樹 撮影/光文社写真室