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祝受賞!直木賞作家・一穂ミチさんが「会社員を辞めない理由」

『ツミデミック』で第171回直木賞を受賞した、小説家の一穂ミチさん。ご本人は人気作家となった今も、会社員との兼業生活を続けています。一穂さんに、「会社を辞めない理由」や、フルタイム勤務しながら小説を書く作家生活について伺いました。仕事・家事・育児と多くのタスクを抱えるVERY世代にも役立つ「兼業生活」の方法とは?

いざというときの命綱はたくさんあったほうがいい

──最近は副業を認める会社も増えています。一穂さんは会社員との兼業作家ですが、長年兼業を続けるなかで、工夫していることや悩みはありますか。

うーん、私の場合はいったん仕事を辞めたら小説がたくさん書けるとは思えません。結局は一日寝て終わってしまう気がして、それならば会社員を続けながら小説を書くいまの生活を続けたい。そのうちAIが面白い小説を書くようになったら、文芸の世界でもそちらが主流になるのではないか。人間の作家に原稿料を払ってくれるのかという不安感もないとはいえません(笑)。

 

──ほかのインタビューで「会社を辞めたら月給分の小説を書けるのかというと、できないだろうと思う」ともおっしゃっていました。

年齢を重ね、労働市場の中で自分の価値が「目減り」しているのではないかと感じることも多くなりました。私自身は、大学卒業後当たり前のように就職し、働けない事情がない限りは勤めを続けるものだという感覚がまだ自分の中にあります。いまの時代、小説家として会社員としてずっと安泰という保証はどこにもないので、いざというときの命綱がたくさんあるのに越したことはないと思っています。心身のバランスをとりながら、握っていられるものは握っていきたいというのが正直なところでしょうか。

──とはいえ、受賞後はかなりお忙しくなったと思いますが、両立のバランスに影響は出なかったのでしょうか。

実際、受賞発表後はかなり忙しくて「もう無理!」と思ったこともありました。でもそう思ったところで、明日から会社に行かないというわけにはいきません。思い切って退職するとなると、さまざまな手続きを踏んで、引き継ぎをして社内に挨拶まわりをして。その上で厚生年金や社会保険の切り替えもやるのかと想像すると、うーん。辞めるほうが面倒だなと……。受賞後はめまぐるしい日が続きましたが、有給休暇を取得して2日後に出社したらみんないつも通りに迎えてくれました。社内で私が小説家であることを知っているのは一部の人ですが、自販機の前に立っていたら、スッと隣に立って小声で「おめでとうございます」と言ってくれる人もいて。いつも気を使ってもらえてありがたいです。

 

今やれることはさっさと手をつける

──VERY世代は、仕事と家庭を両立するなかで「これはあとでやろう」「週末にやろう」と思うと目算が狂って後でパニックになることも。一穂さんはどのように優先順位をつけていますか。

実は仕事のキャパをコントロールすることが苦手なんです。この仕事をやりたいなと思ったら後先考えずに引き受けてしまうことも多く、後でどうしようかと頭を抱えることも。なるべく締め切り日にかかわらず、早くできるものはさっさと手をつけることを心がけています。締め切りまで余裕がある原稿チェックも、なるべく寝かせず、すきま時間に進めてしまうとか。目についたことから片付けていくと、「ついでにこれもやっちゃおう」と弾みがつくタイプです。家事も同じような気がします。小さなゴミから捨て始めると、気づけばまとめて断捨離ができてしまうことも。すぐできることほど手を動かしてしまうと楽だなと経験上思っています。

 

──執筆の依頼もどんどん増えているかと思いますが、仕事を受けすぎてしまって失敗してしまった、ということはなかったのでしょうか。

実は、小説の締め切りに関してはここでは言えないくらいギリギリなことがたくさんありましたが(笑)。基本的に、できないときは担当に正直に報告します。そうすると、「何日までは待てます」と言ってもらえることもあって、改めて対策ができます。予定通りに進めるに越したことはありませんが、困っているときは具体的な形でSOSを出すと、相手も動きやすいような気がします。経験上、「もう全然間に合わない!」というような、気まずいときほどさっさと白状したほうがいいです。どうせいつかバレるので(笑)。

 

睡眠は短め「一日2回」眠りにつく習慣です

──読者は、「本を読む時間や自分の時間がない」という人も多いよう。一穂さんは漫画やアニメ、お笑い好き。インプットの時間はどのように作っているのでしょうか。

ラジオはおもにポッドキャストで、通勤中に聴いています。最近よく聴くのは「マユリカのうなげろりん!!(ラジオ関西)」など。歩きながら、気づけば声に出して笑ってしまっていることもありますね。紙の本は場所を問わずお風呂のなかで読んだり、電車に乗っている5分間だけ読んだり。ほんの数ページでも、「ちょっとは読めたぞ」という自己満足です。映画も好きなので、締め切りの合間を縫って映画館を2、3軒はしごすることもあります。YouTubeや動画配信サービスでお笑いや怖い話の動画を見るのも楽しみです。

 

──煮詰まってしまったときはどうやってリフレッシュしていますか?

ぼんやりと頭を空っぽにして散歩します。何も考えていないつもりでも、落葉から季節の移ろいを感じたり新しいお店ができているなと気づいたりして、気持ちが切り替わります。ゆっくり湯船に浸かるのも好きです。お風呂で湯船に浸かる人と浸からない人は寿命に差が出るらしい、という記事を新聞で読んだことも影響しています(笑)。会社の勤務時間が、深夜から朝までの夜勤なんです。帰宅したら食事や入浴をして執筆して、昼に2時間くらい寝て。また夕方に起きて執筆やメールの返信をして、4時間ほど寝てから仕事に向かいます。2回に分けて寝るというと細切れのようですが、私の体質には合っているようでむしろ一日2回も眠れるのがお得な感じです。「おやすみなさい」って言葉が一日に2回も言えるんです。個人的にはそれが幸せだなと感じています。

直木賞受賞直後、光文社社内で単行本にサインをする一穂さん

 

──VERYの読者は30代前後。一穂さんご自身は30代のころ、「直木賞を受賞した今も兼業を続けている」という十数年後のいまの自分を想像できましたか? 30代を振り返って思うことはありますか?

……この状況は全く想像していませんでした。30代半ばって、肉体的な衰えや健康不安が目につくようになり、仕事や人生に不安を抱く時期でもあると思いますが、目覚ましい成果は感じられなくても、こつこつ積み上げたもののリターンが必ず待っているから、日々が投資だと自分自身を信じてほしいですね。

単行本『ツミデミック』(光文社・1870円)

 

大学を中退し、夜の街で客引きのバイトをしている優斗。ある日、バイト中に話しかけてきた大阪弁の女は、中学時代に死んだはずの同級生の名を名乗った。過去の記憶と目の前の女の話に戸惑う優斗は──「違う羽の鳥」  調理師の職を失った恭一は家に籠もりがちで、働く妻の態度も心なしか冷たい。ある日、小一の息子・隼が遊びから帰ってくると、聖徳太子の描かれた旧一万円札を持っていた。近隣の一軒家に住む老人からもらったという。隼からそれを奪い、たばこを買うのに使ってしまった恭一は、翌日得意の澄まし汁を作って老人宅を訪れるが──「特別縁故者」  先の見えない禍にのまれた人生は、思いもよらない場所に辿り着く。 稀代のストーリーテラーによる心揺さぶる全6話。

 

時に中年男性、時に女子高生、時に孤独な主婦と、どんな主人公の気持ちにも寄り添って、疑似体験させてくれる一穂さん。読めば必ず「もしかして私の心も見えてる……?」と思うはず!(本企画担当ライター・樋口可奈子)

 

PROFILE

一穂ミチ(いちほ・みち)さん

大阪府在住。2007年『雪よ林檎の香のごとく』でデビュー。劇場版アニメ化もされた『イエスかノーか半分か』などBL作品を中心に執筆する。21年、一般文芸作品としては自身初となる単行本『スモールワールズ』で、吉川英治文学新人賞を受賞。同作と22年『光のとこにいてね』がともに本屋大賞第3位、直木賞候補作に選ばれた後、24年『ツミデミック』で第171回直木賞を受賞。

構成・文/樋口可奈子

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