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人工肛門になったら恋愛とセックスは?漫画家・内田春菊さんが「大腸がん」になって気づいたこと【自分をもっと抱きしめよう】

大腸がん手術後に人工肛門になったことを公表し、『がんまんが』シリーズでオストメイト(人工肛門をつけている人)になってからの自身の生活を描く漫画家内田春菊さん。オストメイトになってからの日常、4人のお子さんの育児、がん手術を経て、お酒も恋愛もセックスもやめたという今の境地を伺いました。

※2021年9月に公開した記事を再編集したものです。

 

光文社では女性誌4誌合同で、「自分をもっと抱きしめよう」と題して、乳がん検診啓発キャンペーンを行っています。関連して豪華付録付き特別版発売も。詳細はこちら

 

 

 糖質制限が「がん」に気づくきっかけに

──息子さんが糖質制限でやせたのに驚き、ご自身もダイエットをはじめたことががん発覚のきっかけになったといいます。

「ちょうど、子どもの入学式や卒業式で、久しぶりにスーツを出してきて着ようとしたら入らなかったんですね。『これはまずい』と思って糖質制限をはじめたら、4カ月で10キロほどあっという間にするするっとやせたんです。糖質制限をしたからがんになったの?と聞かれることもあるけれど違います。糖質ががんの栄養になるという説もあって、糖質制限中は、がんの進行を止められていたのかもねとも言われました。ちょうどそのころひどい便秘になったのですが、少しずつは排便できていたので『糖質制限が原因の便秘だろう』と当初は病気だと思っていませんでした。あのまま気づかなかったら、腸閉塞で最悪の場合腸が破裂して緊急手術することになっていたかもしれません。ストーマ(人工肛門)のことは恥ずかしくて周囲にも言わないという人も多いんです。普段は服の下に隠れているから言わなくても済みますものね。私の場合は、『これ漫画のネタになる!』と即座に思って公表したわけですが」

──「ストーマをつけると着たい服が着られない」と以前オストメイトの人に聞いたことがあります。でも、春菊さんはストーマ造設後も着物を着て飛行機に乗ったり、タイトなドレスでステージに立ったりしていました。

「もちろん個人差もあると思いますし、ストーマを上から押さえつけるようなファッションは、圧迫されて漏れるのではないかという不安がないわけではありません。ただ、今は薄型で目立たない装具もありますし、ステージにそれほど長い間上がっているわけではありませんから。歌ったり踊ったりしている最中って便は出ないことが多いんですよ。食事の少し後とか自宅でくつろいでいるとき、就寝中が出やすいですね。腸がリラックスしている状態だと排泄しやすくなるのは、ストーマをつけていない一般の人と同じです」

 

 私の育児中と今で変わったこと、変わらないこと 

──春菊さんは、ご自身の仕事と結婚・離婚、妊娠・出産、育児を、二十数年以上にわたって続くエッセイ漫画『私たちは繁殖している』シリーズなどでも描いています。

「私が子どもを産んだ頃に比べれば、育児環境は良いほうに変わってきたこともあるとは思うのですけど、見ている限り、若い人たちも大変そうですよね。子どもを育てる女性に世間がかぶせてくるイメージ通りの『おだやかで優しいお母さん』でいるのも大変ですし、コロナ禍での育児は経済的にも体力的にも厳しいです。国自体が困っている人を助けてあげるモードになっていないせいでしょうか。子どもを連れているお母さんたちって、周囲から何もしてもらえないことに慣れているように見えます。「ベビーカーを運ぶの、手伝いましょうか?」と私が手を貸そうとすると「えっ!?」って驚かれることも多いんです。「私も子ども4人いるの」と言ってやっと気を許してもらえるくらい。特に老人世代は、悪気はないのでしょうが気安く妊娠中のお腹や赤ちゃんを触ってくる人もいるし、警戒モードにならざるを得ないのは私も育児中に身をもって経験しているのですが……。でも、イクメンブームを経たせいでしょうか。店の入口やエレベーターでさっと前に立ってドアを押さえてくれるようなジジイが昔に比べてじわりじわりと増えてきているような気がします。そういうところは良い変化ですよね」

──春菊さんの場合、離婚、再婚を経て4人のお子さんの父親が違い、そのエピソードは漫画の中にもよく登場します。出産、育児の大先輩として今、子どもを産んでよかったと思いますか?

「3人目の子どもを産んだ段階で、子どもの父親は全員別の人ということになりました。当時は、『もしかして、父親の違う子を産む運動でもしているの?』と言われましたが(笑)、私の場合、結果的にそうなっただけで、はじめから違う遺伝子の子どもを作ろうと計画していたわけじゃありませんよ。結婚は何度かしましたが、相手がヒモ状態になって、私のやりたい仕事を否定されたり、別の人を好きになったりということがあって、最終的に今はひとりになりました。子どもを産んでよかったか、と聞かれたらそれはもちろん! 最初の子どもを産んだとき、こんな面白いことならもっと早くやればよかったと思いました。子どもたちも赤ちゃんが大好きで、私が50代になってからも『もううちには赤ちゃん来ないの?』と言われました。私もできることならもっとたくさん産みたかったです」