家族のことを綴った、笑って泣ける初の著書『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』が話題の岸田さんが、2冊目となる『もうあかんわ日記』を出版されました。弟はダウン症、車椅子ユーザーの母はコロナ禍に入院&大手術という、〝もうあかん〟状況での37日間を描いた今作は、私たちが「家族を愛する」とは何なのかを、改めて考えるきっかけになります。
*VERY2021年8月号より転載。取材内容は取材当時(7月)のものです。
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岸田奈美(きしだ・なみ)
1991年、神戸市生まれ。大学在学中から10年間、「バリアをバリューにする」(株)ミライロで広報部長を務める。2019年に家族のことを綴ったnoteの記事が反響を呼び、作家として独立。Forbes「30 UNDER 30 JAPAN 2020」「30 UNDER 30 ASIA 2021」に選出。初の著書に『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)がある。
家族それぞれのために、
岸田家解散!
岸田奈美さんが中学2年生のときに、父が病気で急逝。その2年後には、母のひろ実さんが大動脈解離を患った後遺症から下半身不随となり、車椅子生活を余儀なくされました。そして今年3月、再び母が感染性心内膜炎という病気で入院、手術をすることに。加えて、ダウン症の弟・良太さんと認知症の祖母との生活。岸田さんの心の底から出た言葉は、「もうあかんわ」。そんな、もうあかん日々の中で、岸田さんは家族が別々に暮らすことを決意したそうです。弟はグループホームへ、祖母は福祉施設へ、母は仕事復帰へ向け一人になれる部屋を借り、岸田さん自身も一人暮らしをスタート。
「祖母の認知症がひどくなり、弟に対して意味のわからない注意をするようになって。弟は私よりもよっぽどしっかりしているので、かなり困惑したはずです。退院した母も困り果て、『なんでそんなこと言うん? 良太(弟)は、なんも悪くないやん』と言ったら、祖母が『注意することであたしが安心するねん!』と言い放ったんです。祖母は祖母で、老いることや記憶を失うことが怖いのだろうし、弟は不安定になるし、母もこのままではノイローゼになってしまう。家族それぞれのために今離れないといけなかった。戦略的な一家解散です」
岸田さんが考える〝解散〟とは、離散でも見捨てるでもなく、自立することだと。
「ダウン症の弟にも自立の手段はあります。それは、家族や気心の知れた人以外の〝頼る先〟を見つけること。つまり社会に依存先を分散させるのも、弟にとっての自立に繫がると思うんです。今は〝自分の部屋ができた!〟と、嬉しそうにグループホームへ通っています(笑)。祖母には施設に入ってもらおうと考えています。家族が一緒に住むことで責任をとるという考え方はあるけれど、苦しみを本人と家族が分かち合うことも責任であると思っていて。今の岸田家は、分かち合うどころか母と弟にすべてを強いる形になっているので、それはよくない。祖母は寂しい思いをするかもしれないけれど、家族も同じように寂しい。ここは割り切って、施設でみてもらおうということになりました」
愛するというのは、お互いを
愛せる距離を探ること
家族が別々に暮らす決断は、とても勇気が要ったはず。
「でも、人を愛するというのは、ずっと一緒にいて支えたり勇気づけたりするだけではなく、愛せる距離を探ることだと思うんです。一人暮らしで家を出て親孝行ができず罪悪感を感じるという相談をいただいたことがあるのですが、私はそのほうがむしろ自分にも優しくできるし、離れた場所で思うからこそ相手に優しくできる距離が絶対存在すると思う。実際に今、週に2、3日だけ母と会うのですが、たまに一緒にいるから優しくできるし、楽しい話をしようと互いに思いやっている気がします。どのくらいの距離でいるのが自分も相手も機嫌よくいられるかを探ることが、愛することなのではないでしょうか。それに、会わない時間こそ、受け取った愛や優しさをもう一度思い出せる時間でもあります。誰かに言ってもらえたことをまた人に伝えたり、返すことができると気づけた、意味のある決断だったと思います」
「もういいよ、じゃあね」って
言うために、お金を払う
「コロナ禍で祖母の受入れ先が決まらず、今はまだ週2日、デイサービスをお願いしています。でも結局夜に騒ぐので、母の負担はあまり軽減されていません。2人の距離をとるために、母にはバリアフリーのマンションを借りました。今は休職中ですが、今後は独立してカウンセリングの仕事をしたいそうなので、仕事場兼、疲れて家を出たいときに家出ができるような部屋をつくろうと思って。私も同時期に京都で一人暮らしを始めたので、正直、かなりの支出がありました。でも〝親のため〟という感覚はないんですよね」
……というと?
「私は〝もういいよ、じゃあね〟って言うために、お金を払っていると気づいたんです。もしかすると世の中の「優しい人」のイメージは、母のためにマンションを借りて家族の距離を離すのではなく、私が家に通って祖母の面倒をみることなのかもしれません。けれどその場合は行き続けなければならないし、ずっと頭の片隅に、おばあちゃん大丈夫かな、おかん困ってないかなと、考えることになります。私も自分の人生を歩まなければなりません。だから一旦は断ち切って、そっちはそっちで安心できる場所にいるからもういいよね、じゃあねって言うために、お金を払うのだなと思いました。うまく愛せる距離をとるには、時にお金が必要です。あとは、覚悟も。母からおばあちゃんが暴れていると聞くたびに罪悪感も抱きますが、母には伝えています。本当に助けてほしいときは言ってなって。私自身、心配しない練習をしているんです」
恩返しをしてもらうために
子どもを育てる親は
たぶんいない
一人になって自由を手に入れ、幸せになるためにリソースを割くことに、それじゃ親孝行にならないのでは、という声が届くこともあるそう。
「恩を返してもらうために子どもを育てる親って、たぶんいないと思うんです。これは母から言われたのですが、〝私はあなたたちを育てることが自分の幸せ。私が好きでやっているんだから恩を背負う必要はない。あなたたちが幸せでいてくれることだけが子育ての意味なのだから〟って。小学1年生の頃、道で転んだ私に母は、立ちなさい、泣かないのって言うんです。対して弟には、パッと駆け寄って手を差し延べる。私は〝お母さんもお父さんも私のことが嫌いなんでしょ。泣いていても来てくれない。愛してないんだ〟と怒ったそうです。母は、かなりショックだったらしくて。〝障害のある弟の姉だから、今後いじめられるかもしれないし恥ずかしい思いをするかも知れない。だから強く生きてほしくて強く育ててきたけど、そんな先のことは関係ない。あなたにとっては今、愛されているのが大事なのだと気づけなくてごめん。弟の面倒はみなくていいし、将来のことも考えなくていい。奈美ちゃんは奈美ちゃんらしく、幸せでいて。私にとって、奈美ちゃんが一番大事〟と、言ってくれました。もちろん弟には、弟が一番大事だと言っているんですけどね(笑)。それ以来ずっと、私が幸せでいることが何よりの恩だと思って、生きています」
現実を認識したうえで、
家族との距離を選ぶのも
愛しかたの一つ
岸田さん初の著書『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』の中では、NASAの家族プログラムの話が書かれています。NASAの解釈では、家族とは、血の繫がりではなく自分が選んだパートナーと子どもこそが家族である、というもの。その家族のみが、ロケット打ち上げの瞬間を近くで見届けることが許されているのだそう。
「なぜNASAの解釈に共感したかというと、人生は自分のためにあると思ったからです。とはいえ、どうしても血縁関係に縛られることはあります。だから(選べない分)、自分が幸せでいるためには、家族を愛してもいいし、恨んでもいいとも思うんです。現実を認識すれば、家族と一緒にいるときが幸せだとか、はたまた今辛いのはもしかすると親のせいかもしれないと気づけることもある。そんなことを思うなんて家族に申し訳ないとかではなく、まずちゃんと受け止めて、そこから一度恨んでみることだと思うんです。恨みながら一緒にいてもいいし、難しければ距離をおいてもいい。一番距離をおきづらい家族のことに向き合ったうえで離れるという決断をすることは、間違いなく、愛しかたの一つだと思うので」
『もうあかんわ日記』
(ライツ社)
母・ひろ実さんが感染性心内膜炎という病気を患い手術・入院をした37日間。家族と生活、あらゆるタスクを託され「もうあかんわ」な日々を送った岸田さんが、〝人生はひとりで抱え込めば悲劇だが、人に語って笑わせれば喜劇だ〟という思いで、毎晩21時に更新していたnoteが待望の書籍化。
写真/別所隆弘 取材・文/藤井そのこ 取材/フォレスト・ガンプJr.
*VERY2021年8月号「〝もうあかん〟日々の中で、作家・岸田奈美さんが決めた「家族の解散」」より。
*掲載中の情報は誌面掲載時のものです。