テレビ東京アナウンサーを経てフリーに転身、その後2023年にニューヨークへ生活の拠点を移した大橋未歩さん。この夏発売された初エッセイでは、スピーチコンテストに英語で参加し、そこで10年に及んだ不妊治療について、思いを語り話題になりました。当時のことを話そうと決めた理由やその後の心境の変化、現地での今の暮らしについて伺いました。
移住3年目のニューヨーク、夫が起業した店で働く
──前回VERYでお話を伺ってから約1年半。ニューヨークでの暮らしもまもなく丸3年ですね。最近は、どんな毎日を過ごしていますか。
本当にたくさんのことがありましたが、大きかったのはお店のオープンですね。夫が共同オーナーと始めた、コーヒーを飲みながらアウトドアギアやファッションを楽しめるお店Contrasto(@contrastonyc)で、私も店舗スタッフとして働いています。店舗経験は初めてですが、知らないことだからこそおもしろいです。
お店には、円安で日本への旅行経験があるアメリカ在住の方もたくさん来てくれます。みなさん日本に対してとても良いイメージを持っていらっしゃるんですよね。店では日本の製品も扱っているのですが、とても評判がいいです。北海道のパウダースノーが素晴らしいと話してくれる人や、日本への移住を考えている人も。私自身が知らなかった日本の良さを、ニューヨークのお客さんから教えてもらうこともあります。
──前回お話を伺った後も、アメリカでは政治や社会情勢が大きく動きました。現地で暮らしているからこそ、感じ方が変わったことはありますか。
ニュースの向こう側にいた人たちが、急に輪郭を持って見えるようになりました。たとえば、コロンビアから来た移民と出会ったことで、それまで「メキシコ側からアメリカに入ってきた移民」とひとくくりにして読んでいたニュースの先に、一人ひとりの人生があることを実感しました。
その人は、子どもの頃から自己防衛のために鉛筆を持ち歩いていたと話してくれたんです。私たちが勉強に使っていた鉛筆を、いざとなったら相手を刺せる武器として身を守るために持っていたということ。その話を聞いたとき、ニュースで見ていた出来事が、初めて目の前の現実として迫ってきました。
イランとの戦争が始まったときも、自分が暮らしている国のトップが戦争を始めるとは、こういう気持ちなのかと思いました。まず浮かんだのは、「私もここで税金を払っているんだ」ということでした。そのお金が形を変え武力になっているのかもしれない。日本にいたときには、そこまで自分事として考えられていたかどうか自信がありません。日本で伝えていたニュースも、今なら少し違う伝え方ができるかもしれないと思います。多様性という言葉だけでは収まらない、きれいごとでは済まされない現実が、ニューヨークには目の前にあるんです。
素直に話せる場所に出会えたから、10年間の不妊治療を語れるように
──新刊エッセイでは、10年間続けた不妊治療について初めて明かされています。長く語らずにいた経験を、なぜこのタイミングで言葉にできたのでしょうか。
45歳になる前に、不妊治療をやめました。とてもプライベートなことですから、そもそも公にする必要はないんです。ただ、言わないでいると私は子どもが欲しくない人なんだと決めつけられて、心無い言葉をかけられることもありました。治療を続けている間は、不妊治療のことを公にすることで気持ちが不安定になるのも怖かったんです。子どもが欲しいという気持ちが強いからこそ、公にすると逆に自分へのプレッシャーになったりしてホルモンが乱れて妊娠に響いたらどうしようとも考えていました。それで、治療中は一切話してきませんでした。当たり前なんですけど、人間って、見えている部分がすべてではないんですよね。ただ、たまたま多くの人に私の体験を聴いていただくタイミングがやってきたんです。
ニューヨークで「The Moth」という一般参加型のトークイベントに参加しました。抽選で選ばれた人が、テーマに沿って自分の個人的な体験を話す場で、その日のテーマは「人生の新たな章」。人前で話すと言っても笑いを取ることが重視されているわけではなく、求められているのは真実を話すこと、それによって人間同士を理解することだと知って、それなら私にもできるかもしれないと思ったんです。
「人生の新たな章」と聞いた時に浮かんだのが、不妊治療のことでした。この「The Moth」が開催するトークイベントは、それぞれの人生物語を茶化すこともないし、ドラマチックに美化して仕立て上げるわけでもない。とてもニュートラルな空間でした。だから話したいと思えたのかもしれません。
──10年間を振り返ると、どんな時間だったと感じていますか。
不妊治療は、努力すれば結果につながる世界ではありません。受験や就職活動や仕事は努力すればある程度結果もついてきたけれど、その成功体験が、治療においてはまったく通用しないということを思い知らされました。頑張ったぶんだけ目に見える成果がついてくるものは、ある意味では楽なのかもしれません。私は早発閉経の症状が見られ、年齢のわりに卵巣機能の数値が低い状態で、不妊治療を始めたときから、妊娠しづらいと言われていました。治療を始めて3カ月後に脳梗塞にもなってしまい、治療を中断せざるを得なかったこともありましたし、ようやく受精卵が着床しても、ごく初期で流産してしまったこともありました。ただ、30回を超える体外受精をして、結果的には授かれなかったけれど、やれるだけのことをやったからこそわかったことがあるんです。この道のりをエッセイ『ニューヨークの林檎をむいて食べたい』に書かせていただいたので、よろしければそちらで触れていただけたら嬉しいです。
見えないつらさを抱えて生きている人はたくさんいるはず
──ご自身の経験を言葉にしたことで、どんな反響がありましたか。エッセイをウェブで発表した際にも大きな話題になりましたね。
皆さんがご自身の体験をDMでたくさん送ってきてくださったんです。本当にものすごい数が届きました。不妊治療について、私のように時間が経ってから口にできる人もいれば、誰にも言えず、内側で抱え続けている人もいます。仕事場や家庭で明るい印象の人であったとしても、それがその人のすべてではありません。
だから私は、「見えているものだけが、その人のすべてではない」という想像力は持っていたいなと常に思っています。人には、外からだけでは見えない部分が絶対にあると考えるだけで、人に対しても、自分に対しても、少し優しくなれる気がしています。
──本の中では、ぎっくり腰になったときの話など、クスッと笑ってしまうエピソードも印象的でした。
不妊治療の話を書いた後は、少し重い雰囲気になってしまったかもという思いもありました。その後には、自分の身の回りに起きた、くだらなくて意味のない話も書きたいと思ったんです。つらかったことも、笑ってしまうような出来事も、どちらも自分の人生。今回、本を書いてみて、どんな経験も言葉にすることには意味があるのだと、改めて感じました。
今、本当のことを話せる場所を作りたいと思っているんです。「ここなら本当のことを話してもいい」と思えるだけの信頼関係と、安全な場所を用意したい。まだ具体的に話は進んでいませんが、オンラインコミュニティなどを考えています。
自分が経験してきたことを言葉にすることで、少し救われることはあると、私自身が感じました。さらに、そこで誰かと話をしたり、つながるきっかけができたらいいなと思うんです。そんなふうに、それぞれが抱えてきたことを安心して話し、少し心を軽くして帰れるような場所にできたらと思っています。
Profile

大橋未歩さん(おおはし・みほ)
1978年兵庫県生まれ。2002年にテレビ東京に入社し、アナウンサーとして、スポーツ、バラエティ、情報番組など幅広い分野で活躍。その後、2013年1月に脳梗塞を発症。休職期間を経て同年9月に復帰する。2017年のテレビ東京退社後はフリーアナウンサーに。2023年からはアメリカ・ニューヨークに住まいを移し、現在は日米を行き来しながら活動中。インスタグラムは@o_solemiho815
大橋未歩さんの新刊エッセイ
仕事も暮らしも肩書きもいったん手放し、ニューヨークへ。英語が話せない不安、異文化の洗礼、思い通りにいかない日々、それでも人との出会いや表現の力に背中を押され、少しずつ自分の居場所を見つけていく。人生のままならなさを抱えて生きる切実さまでも軽やかにすくい上げる、極上の自己解放エッセイ!
撮影/Nara〈vale.〉 取材・文/樋口可奈子
※本文中の写真は大橋未歩さん提供










