いつも寄り添い、支えてくれた家族
手術の結果、リンパにも転移のあるステージⅢとわかりました。再発リスクが高いがん細胞だったため、術後は抗がん剤、放射線治療、分子標的薬、ホルモン療法のフルコース。抗がん剤投与後は、副作用でだるさと吐き気に襲われ、朦朧として起き上がることができません。
そして髪が毎日少しずつ抜け落ちていき、最後には全てなくなりました。病室の窓から休職中の会社を見つめ、もう大好きな仕事には戻れない、結婚、出産もできず死ぬんだと毎日泣いていました。こんなに辛いならいっそ死んだ方が……、と感情が抑えられず、つきっきりで看病してくれる家族にぶつけてしまうこともありました。
私のがんが発覚してから、父は赴任先の海外から急遽帰国。母も妹も仕事を辞め、ずっとそばにいてくれました。実は病院から、必ず家族の付き添いが必要と言われるほど、当時の私は不安定でした。いつも頼もしく私を受け止めてくれたのは、昔は甘えん坊で私にベッタリだった2歳年下の妹。「死」の恐怖に怯える私に「どんな時も一緒だよ」といつも寄り添い、笑顔で支えてくれた母。後で聞いた話ですが、医師からは2年後に生きているのは難しいかもしれない、と言われていたそうです。そんな辛い状況でも、2人は笑顔で励ましてくれました。
「何があっても美穂なら絶対大丈夫」。学生時代のバックパッカーや自転車で日本一周……、親ならハラハラするに違いない青春を謳歌する私に、いつも父がかけてくれたコトバも改めてこの闘病の支えとなりました。いつからか次第に死ぬことよりも生きることを考えられるようになり、「もし生きられたらこの経験を活かし人の役に立つことをしますので、どうか生かしてください」と毎日願っていました。
「なぜ私ががんに?」仕事復帰後も問い続けたこと
そして8カ月の休職を経て、無事に仕事復帰。今まで通り、記者の仕事に戻れたことに心から喜びを感じながらも「なぜ私が?」と自分が乳がんになったことの意味を問い続けていました。私自身、がんになり、どう生きていけばいいかという情報にたどりつけなくてすごく不安でした。だから、この経験にもし意味があるのなら、私と同じような不安を今抱える人たちが、生きやすい社会を作るために情報発信をしていくことなのではないか?と思ったのです。
そこで「STAND UP!!」という団体を設立。若くしてがんになった人を応援するためのフリーペーパーを作りました。その後、「Cue!」という、がん患者向けのヨガなどのワークショップを行う活動も広げたことで、がん患者のための場所が必要という思いが芽生えました。
闘病中、ずっと支えてくれた家族には感謝しかありません。抗がん剤で髪も全て抜けてしまいました。
闘病中の思いが形に“マギーズ”との出会い
思い立ったら猛進する私。そういう場所を作ろう!と、両親も巻き込んで計画を立て、いよいよ中古の家を購入する寸前だった2014年、がん患者などの支援に関する国際会議に参加し、英国にある「マギーズセンター」の存在を知りました。
がんに直面し悩む患者本人、家族、友人らがゆっくりくつろぎ、看護師や心理士など医療の専門家にも相談できる施設です。闘病中、どんなに家族に支えられても孤独を感じることがありました。家族は家族で、吐き出せない思いや、悩みを抱えていたと思います。
それぞれの立場で居場所や相談相手が必要だったと思っていた、その場所がまさにマギーズ!「求めていたのは、これだ!」と体に電撃が走ったようでした。家の購入はすぐに白紙に。すでに日本にマギーズを作りたいと発信していた、看護師の秋山正子さんを訪ねました。
がんになった人と家族や友人などが、気軽に訪れてくつろぎ、専門家のサポートもある場がマギーズ東京です。
がんになったら「人生が終わり」ではない時代に
「マギーズ東京」の実現の壁になるのは、なんといっても資金不足でした。「病気を抱える人の不安を軽減できるような空間」となるため、英国のマギーズは広大な土地と庭、建物は名だたる建築家が設計した、とても美しい場所なんです。それに及ばなくとも、雰囲気は踏襲できる場所と資金は不可欠。それならメディアやアートに強みを持つ私たちのチームが、医療界で信頼のある秋山さんのチームと一緒になれば必ずクリアできる。一緒に活動したい。そんな私の急な申し出を、秋山さんは受けてくださいました。
クラウドファンディングや、チャリティの活動を共に行い、様々な方の協力を得て、約2年半後の2016年10月、豊洲の地に「マギーズ東京」がオープンしました。それから1年、マギーズに訪れてくださった方は7、000人を超えました。
がんの治療は日々進歩して、選択肢も広がっています。今やがんになっても、再発転移をしても、人生は終わりではありません。でも誰もががんになる可能性があり、それは決して低い確率ではない。もしがんだとわかった時に「そういえばマギーズってあったな」と思ってもらえたり、自分の闘病中の時と同じように戸惑い、苦しんでいる人たちのために真っ暗闇に立つ灯台のような存在になりたいと思っています。
私を娘のように思ってくれる義母と家族になれたことが嬉しいです。