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難病で人工肛門に。医師兼モデルのエマ・大辻・ピックルスさんの挑戦【自分をもっと抱きしめよう】

日本にはストーマ(人工肛門)の利用者が約21万人いて、「オストメイト」と呼ばれています。現役医師であり、日本初のオストメイトモデル、1児の母であるエマ・大辻・ピックルスさんはオストメイトの存在やストーマの認知、普及を目指し、バリアフリーの一歩先を見据えて活動中。その姿は注目を集め、テレビドキュメンタリーも放送され話題になりました。エマさんが今考えていること、これからの挑戦をお聞きしました。
※VERY2021年4月号掲載当時の内容を編集したものです。。

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▶︎ストーマ(人工肛門)とは?

腸の一部を皮膚の外側に出して、肛門に代わる便の出口にするもの。ストーマとはギリシャ語で「口」を意味する。人工肛門は本来の肛門のように括約筋によるコントロールができないので、自然に出てくる便を受ける専用袋(パウチ)を装着する必要がある。

 

若い世代にもオストメイトが増えています

   ストーマ(人工肛門)というと、大腸がんの人が最終的な選択としてつけるものというイメージを持っていました。エマさんのように他の病気がきっかけでオストメイトになる人もいるのですね。

 オストメイトは大腸がん患者に限りません。若い人の中にも卵巣がんや子宮内膜症など婦人科系の疾患が原因で大腸に癒着などが起こり、ストーマを作る人もいます。それから増えているのは、安倍元首相の持病として知られるようになった潰瘍性大腸炎ですね。「指定難病」に認定されてから、もともと数万人規模だった患者数が一気に17万人以上にまで増えました。短期間に急激に患者数が増えたということは、今まで病気に気づかれずただの下痢とか血便だと診断されていた人が多かったということが考えられます。ステロイドのような副作用の強い薬を使って症状を抑えるよりも大腸を摘出してストーマにしたほうがQOL(生活の質)が上がることがあるので、最近は若いオストメイトが増えています。

   エマさんの病気は、国内でも症例のほとんどない難病で病院に行ってもなかなか診断がつかなかったそうですね。

 医師国家試験は必修を除けば大体、7割弱で合格です。ということは残り3割は誤診ともいえるということ。試験結果と現場の医療がすべてイコールというわけではありませんが、国家試験にこの世に存在するすべての病気が網羅され、出題されるわけでもなく、医師が知らない病気もたくさんあります。どんなに名医と呼ばれる人であっても、「誤診をしない」ということはまずありえません。自戒の念もこめて言いますが、自分たちが知識や経験で知っていると思っていることって、全体から見ればほんの一部なんですよ。

 

手術後、胃の大きさが
「ジャンボ餃子」くらいに

   エマさんは難病の「慢性偽性腸閉塞症」となり、「胃亜全摘術」を受けます。これは一般に知られる「腸閉塞」や「全摘出」とはどう違うのでしょうか?

 普通の腸閉塞は、内臓の癒着が起きるとか腸捻転があるといった明らかな経過や原因があるので発見しやすいのですが、私の場合それがありませんでした。ドクターはCTや胃カメラで何らかの異常がわかれば診断もできますが、それらしい病変が見つからない場合は「気のせい疾患」などと言われ、精神疾患やストレスのせいにされてしまうこともあるのです。私自身も、「心身症ですね」とか「あなたは心が弱いから」などと言われ、病名がわからないまま心の問題にされたことで、その後本当に鬱病になってしまいました。「胃亜全摘術」というのは胃の一部を残す手術です。胃ってけっこう頑張っている重要な臓器なんですよ。ほんの少しでも残せたら体の負担も全然違います。その場所にあるはずの臓器がなくなることで骨盤のバランスが崩れて、他の臓器に大きく影響するので、最近はなるべく残せる部分は残す方針の切除手術をすることが多いんです。切除後の胃がどれくらいの大きさになったかというと、イメージがつくかどうかわかりませんが、「ジャンボ餃子」くらいだそうです(笑)。その後、ストーマ造設手術もしましたが、胃も大腸も残してくれる方針のドクターに恵まれたことが幸いでした。
(※編集部注:病状の進行に伴い、取材後の2023年8月に大腸全摘術+小腸ストマ造設)

   体の異変に気づいたのはいつごろだったのでしょうか?

 学生時代から、食事の後お腹が妙にぽっこり出たりして何か変だな、とは思っていました。それでも、皆こんなものなのかな、と思いつつ過ごしていたのですが、26歳になったころ、腹部の激痛に襲われたのです。医学部に編入し、4年生で試験前の勉強に追われ徹夜をしていたときでした。病院に駆け込み、ドクターに「このお腹どうしたの?」と驚かれ、ようやく異変に気づきました。どうやら気持ちの問題ではなかったんだな、とわかったのですが病名の診断がつかなかったので、その後の医学生としての生活はとてもしんどかったです。実習前に食事をすると苦しくなるので食べずにオペ室に入って、低血糖や脱水で倒れてしまったり、授業を欠席することが増えて、周囲から見たらサボっているとかやる気がないように見えたと思います。私としてはそんなつもりはないのですが、病名がわからないので周囲には理解してもらえず苦しみました。研修医になってからは、体調が悪くても気合いで乗り切るようにしていましたが、結局長続きしませんでした。国立大医学部に編入したことで、家族にも金銭的な負担をかけ、税金も使っているのに医師としてのキャリアも中途半端なまま治療に専念するしかない自分が許せず、重症の鬱病にもなってしまったんです。

 

子どもができて、モノクロ
だった世界が変わった

   エマさんには一人息子がいますが、お子さんを産んだのはそのころのことですか?

 体調が少し落ち着いていた33歳のころ、子どもを産むなら今しかチャンスはないかもしれない。好きな人の子どもが欲しい、という思いが強くなりました。幸運なことに子どもを授かることができたのです。現在は、シングルマザーになりましたが父親とは「子育てパートナー」という感じの付き合いで、今も息子と遊んだり勉強を教えてくれたりと良い関係が続いています。子どもを産むまでは具合が悪いのに診断がつかない、仕事もろくにできない状態で世界がモノクロに見えていました。精神的にも肉体的にもしんどすぎて、この人生をやめてしまいたいと何度思ったかわかりません。ただ、子どもを置いては死ねない、闘わないといけないと思えたことが神様のくれたごほうびなのかもしれないと今では思っています。育児をする中で鬱病からも少しずつ回復することができました。

   もともと法学部出身のエマさんですが、医学部に編入したきっかけは何でしょうか?

 母親には、将来何があっても自分の足で立っていけるように資格を取りなさい、と幼いころから言われていました。弁護士になってほしいと進路も半ば決まっていたくらいで(笑)、幼いころから法廷もののドラマをよく見させられていました。ただそれが私にとってはいい意味でのプレッシャーになっていて、母を喜ばせてあげたいという思いもあって、受験生時代はストイックに頑張れたんですよね。当時、東大前に住んでいたのですが、決して東大に行けとは言われませんでしたから、お母さんも私の能力の限界をわかっているなと(笑)。慶應大学の法学部に入ると、医学部で法医学の授業も受けられると赤本で読んだんです。割腹自殺した三島由紀夫の司法解剖を行うなど歴史ある慶應の法医学教室にも憧れました。進学後は、医療と法律の二つにまたがる仕事がしたいという思いが強くなり、大学院を経て、文系学部から学士編入できる国立大学の医学部をダメ元で受験し、どうにか合格することができました。

 

NEXT>>>『ストーマの女は強いんだぞ!』

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