❝苦しすぎるから、
新しい自分にでもならないと
生きられなかったんだと思います❞
ヨガ、キックボクシング、
住宅購入、資格取得……
なんでもした
せせらぎさんは、それから何をはじめたのでしょうか
「子どもと一緒に死んでしまおうか」「彼がいないなら生きていても意味がない」……と死を願ったことが何度もあります。ふっと気を抜くと死んだほうが楽かもしれないという思いにとらわれる。そんなときに出会ったのがヨガでした。最初はヨガの最中も号泣していました。ホットヨガだったので、全身の水分が流れ出ているような状態だったと思います。ただ、体験したその日から頭がすっきりして、顔つきが変わりました。体がほぐれると自然と心に余裕が生まれるようで、ヨガをした日は子どもたちにも優しくなれたんですよね。
キックボクシングもはじめ、元々運動とは縁のない人生でしたが今がいちばん体を動かしていると思います。のちに本になるブログをはじめたきっかけも最初は思い付きでした。彼との思い出を友だちに話していたら「ブログに書いたら?」とすすめられて、即はじめました。とにかく3年間、毎日更新しようと決めて、読者が一人もいない頃から毎日記事を書いていました。今思えば、目につくものすべて、やってみなければ生きていられなかったんだろうと思います。ただ、そのときにはじめたことがのちのち自分の糧になっていきました。
彼が死んだ直後は、何もしたくない、家にこもっていたいと思っていましたが、そのまま何もせずにいたら今の自分はないと思います。実家の隣に住みもしないセカンドハウスを建てる決断をしたり、自分の仕事とは直接関係のないFP二級の資格を取ったり。後になって考えてみればちょっとおかしなテンションだったのだと思いますが、明日死ぬかもしれないのに私は何を我慢しないといけないのだろうと、気になることはなんでも即実行にうつしていました。
彼が死ぬ前とで私は性格が180度変わったと思います。大人になると人ってそんなには変わらないものというけれど、友人にも「すごく変わったよね」と驚かれます。もともとはどちらかというと非積極的で無口なほうでしたが、今までは怖気づいて話せなかった相手ともペラペラ話せるようになりました。いくら社会的地位やお金がある人も、いずれ死にます。みんなただの生命体のひとつで行きつく先に死があるのは同じ、と思えば何も怖いことはなくなりました。自分の持つ権力やお金をふりかざしている人を見ると「小っちゃ!」と思いますね。どうせあの世には何も持っていけないのに。
彼が死んで4年近く。この生き方を理解してくれる人もそうでない人もいるけれど、世間が思う「夫に先立たれたかわいそうな未亡人」というイメージに自分を当てはめる必要はないと思っています。彼の死の直後、毎日泣いていた頃に比べれば、自分は変わったと思うけれど、それでもやはり思い出せば涙が出るし、今でも頻繁につらくなります。彼のいない日々は苦しすぎるから、新しい自分にでもならないと生きられなかったんだと思います。自分の心地よさだけを大事に、何を言われても自分勝手に生きてきました。
2人の子どもと生きていく
その後の育児はいかがですか。
シングルマザーになってから、自治体にどんなサポート制度があるのか調べたのですが、一時預かりやショートステイも前々からの予約が前提なので、「今困っている」「急な体調不良で子どもを見ていてほしい」ときには使えないものがほとんどなんですよね。使い勝手が悪いので、ならば自宅で子どもを見ながら仕事すればいいやと思っていたのですが、2歳違いの子どもの世話をしながら、夫の死後の事務手続きやブランクのある仕事をする日々は精神的にもつらく、実家も距離があるのですぐに頼れません。区に相談してショートステイを利用してみることにしました。
ショートステイは子どもが施設に泊まるので最初は利用するのに迷いがありましたが、育児から離れて自分のために使える時間が一日でもあると、帰ってきた子どもと笑顔で向き合うことができるんです。家事代行も試してみました。日常的には使っていないのですが、困ったらここに頼ればいい、一人で抱え込まなくていいというお守りが持てたことで、不思議と家事が進むようになりました。自分でやらなくてもいいと思うとふっと肩の荷が下りたように感じるのです。
せせらぎさんは今「遺された子は発達障害児でした」というブログを書いています。
発達障害に限らず、一人親が子どもを育てるのは大変です。優しく接してあげたい気持ちもあるし、厳しく言わなきゃいけない場面もあります。それを一人でやろうとするとどうしても矛盾が生じて絶対に無理だと思いました。子どもに真摯に向き合おう、息子をなんとかしようと考えるよりも、まずは自分が健やかな状態でいることが大事だと思っています。難しいけれど、いかに自分の心に余裕をつくるかが重要ですね。
子どもの教育や進路はどの選択がベストなのか、結果は後にならないと誰にもわかりません。それよりも今を幸せに生きていてくれたらそれでいいと思っています。子どもは結局親の言うことなんて大して聞かないし、それよりも周囲の人の言葉や行動を見て気づくこと、教えてもらうことのほうが多いはずです。家は子どもが笑顔で過ごせる安心できる場所であればそれでいい。そのためにも自分の心に余裕をつくっておきたいですね。