VERYモデル東原亜希さんのこれまでを振り返るインタビュー連載の第3回。今回は入籍、新婚旅行、結婚式という怒涛のイベント編です。(前回はこちら)
まるでツアコン!?新婚旅行は両家族を連れてハワイへ
入籍後に井上康生さんが現役を引退したこともあり、柔道生活を支えてくれたファミリーへの感謝の意味を込めて、何より「生きている間に一度はハワイに行きたい!」という井上さんの父親のリクエストに応えて、新婚旅行は両家総出でハワイへ行くことに。
ここでもやはり井上さんとは二人っきりにはなれそうになく、とことん団体行動の予定でした。しかしそんなことは気にも留めず、やる気に火がつくのが東原さん。飛行機や宿泊施設、滞在中のレストランの手配など、ツアーコンダクターのような働きを花嫁自ら買って出たといいます。まさに、抑えきれない“寮母”体質を発揮。
そして仕事の合間を縫いながらのツアコン業務は大変ながらも必死の思いでようやく整えた、と安心したのも束の間、突然襲い来る吐き気。そう、妊娠が発覚したのです。「早く子どもが欲しい」と夫婦で話してはいたのですが、まさかの早すぎるタイミングのうえ、つわりもかなり重かったそう。
いよいよ旅行への出発間近というところで夫の康生さんが一大決心をします。「俺が頑張ってくるから、お前は待ってろ!」
「せっせと旅行の手配をして、自分は行けないなんて……これじゃあ本当にツアコンじゃない!自分も行きたい」と泣きついた東原さんでしたが、とにかく東原さんとお腹の中の赤ちゃんが心配だった井上さん。そして二人で何度も話し合い、体調も少し安定してきたこともあり出発間近で東原さんのハワイ行きを決断しました。
「でも、飛行機の中で機内食が配られた瞬間、また気分が悪くなって。ハワイに着いても気持ち悪かったという記憶しかないぐらいでした……」
東京で仕事関係とお友達。宮崎で夫の後援会。合計3回の結婚式!
何はともあれハワイから無事に帰国した東原さん。続いてのビッグイベントは結婚式でした。お相手が国民的アスリートだと結婚式のスケールも桁違い。披露宴は、東京で2回、宮崎で1回の計3回! 東京の1回目は仕事関係者がメイン。各界の大御所もご列席ということで緊張感いっぱいの披露宴だったとか。2回目は友人たちを招待、宮崎で行った3回目は井上さんの後援会の方々を招いて行ったそうです。出席者は3回合わせて約1000人だったそう。
「一番緊張したのが、宮崎でした。やっぱり柔道の世界って厳しいというか、私が知っている世界とは全然違う空気があって。私の仕事柄もあってか、軽く見られたくないとか認められたいとか、そんな気持ちがプレッシャーになっていたのかもしれないです。井上さんはそんなことまったく気にしていなかったし、求めてもいないと思うんですけど、挑まれていない戦いにチャレンジする性分なんですよね。イメージを超えたい!みたいな。誰と戦ってるの?という感じですけど(笑)」
つわりの余韻に苦しみながらも出席者へのカードを手書きしたり、新婚旅行も結婚式でも、とにかく井上さんを支えることに注力した東原さん。
「それが一番でしょ! 新婚旅行や結婚式は、康生さんの〝今まで支えてくださり、ありがとうございます!〟みたいな感謝祭的な意味もあったから。私も、同じ気持ちでした。それより何より、当時の私は熱烈な井上康生ファン。不満なんてなかったですね。唯一、結婚式でわがままを言ったのは和装がしたいということ。康生さんの袴姿……見たかったんです」
東京での披露宴は東原さんだけでなく、井上さんも緊張しっぱなしだったとか。そのせいか、やたらとお酒に手が伸びてしまった井上さん。現役時代はあまりお酒を飲むこともなかったため、酔いが回るのも早く、披露宴終盤にはかなりの酔いっぷりだったそうです。肝心の新郎の挨拶ではろれつが回らなくなってしまうほどで、熱烈ファンの東原さんが唯一冷静になった瞬間だったそう。
「でも、康生さんがそんなに酔ったところを見たのは初めてで。いろんなプレッシャーから解放されたんだなと、何だか微笑ましかったです。夜も赤ワインまみれで倒れてましたし。事件だらけでした(笑)」
さて、壮大な結婚式を無事に終えた二人は、いざイギリスへ。次回はスコットランドでの出産についてのエピソードです!
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取材・文/櫻井裕美 再構成/馨都
※掲載中の情報は誌面掲載時のものです。