妊娠中のプレママは、やっと我が子に出会える嬉しさ反面、きっと不安もいっぱいなはず。チームVERYのみんなの出産も10人10色。それぞれにエピソードがありました。みんなの出産記を読んで、自分のお産のシミュレーションに役立てば……。VERYweb限定連載で、チームVERYの出産体験を紹介していきます。
今回は、VERYライターとして活躍していた渡邊里衛さん。産休復帰を経て、本格的にライターとして活動を復帰した矢先に、2子目の妊娠が判明。それでも、2回目だからと仕事を続けていこうと決意するも、切迫流産に……。里衛さんがバタバタなころ、長女は? 2人目を考えているママ、必読です。
チームVERY出産体験記Vol.2〜VERYライター渡邊里衛さん
職場復帰直後に妊娠が判明。その後、切迫流産に……
長女が1歳4ヵ月の時に長男の妊娠が判明しました。その時、私はやっと保育園が見つかり、VERYのライターとして復活して半年。やっと仕事の感覚が戻ってきて、「頑張るぞー!」という気持ちでいっぱい。まさかの妊娠で、正直戸惑うこともありました。
妊娠3ヵ月の頃、仕事で代官山へ展示会に行っていた際、突然、生理の2日目にあるような血の塊がドロッと出た感覚を覚えました。驚いてすぐにトイレへ行き、便座に座った途端、大量の血がドバーッと出てきてしまい、頭が真っ白に……。
そのままタクシーに乗り、検診で通っていた自宅近くの病院へ。タクシーは真っ白なシート。とにかく汚さないようにとたまたまバッグの中にあった仕事用のファイルとハンドタオルを座席に敷きました。
とにかく心臓がバクバクして、震えが止まりませんでした。
とりあえず主人と実家の母に電話をし、「緊急事態だから、もしかして長女の保育園のお迎えに行ってもらわないといけないかも」と、業務連絡だけ伝えました。
病院へ到着し、待合室で先生を待つ間、看護師さんに状況を話すと、「血の塊が出ませんでしたか?」と聞かれました。その時、「もしかして私、流産しちゃったの……?!」と。悪い予感がよぎりました。
看護師さんが私にする質問が「初期だったしね……」と、流産している前提で進んでいる気がしました。
ショックすぎて現実に向き合えず、「まだ分からない」「まだ分からない」と認めないように考えないように現実逃避に必死。客観視すると気が狂いそうになり、精神的におかしくなってしまいそうで、なぜか笑っている自分がいましたね。
なんとか病院へ到着!待っていたのは…
診察室でエコーを見たら「あ、いる!」と先生。
しっかりと赤ちゃんの心拍も確認でき、とにかく安心して嬉しくて涙が出てきました。
その日のうちに、実家の母が新幹線に飛び乗り、長女のもとへ駆けつけてくれました。夕方、娘のお迎えを終えた主人が私の着替えを持って病院に到着。実は、前回の検診時、子宮内に絨毛膜下血腫があると言われていたので、「無理するからだ」と主人に叱られてしまいました。2人目だからと油断していた自分もいたのかもしれません。
そのまま絶対安静で即入院。長い入院生活が始まりました。
その後1週間は、実家の母がそのまま東京の自宅に残ってくれて、長女の面倒を見てくれました。しかし、母も仕事があり、2週目以降は横浜の主人の実家にお世話になることに。主人も実家から出勤するようになりました。ただ、主人の両親は高齢ということもあり、まだ「ママ」すら言えず、言葉も分からない1歳の娘の寂しい気持ちを紛らわすのは、体力的にも厳しいということになり、その後、娘は、岐阜県にある私の実家へ預けられることになりました。
祖母の家の近くに親戚の同い年くらいの子どもたちも住んでいたので、大人数体制でひたすら娘に好きなものや美味しいものをあげて気をそらしていたそうです。
長い入院生活では情緒不安定に
その間、私はというと、トイレも一人で行けない状態でずっと病室で寝たきり。娘が思い出すとかわいそうだからとテレビ電話などもシャットダウン。様子が分かるのは実家から送られてくる写真だけでした。「お姉ちゃんも赤ちゃんも頑張ってるからママも頑張って!」と看護師さんたちに励まされ、「頑張れ」と言われても私が出来ることって寝てるだけ……。そんな状況を不甲斐なく感じ、よく泣いていました。ずっと情緒不安定でしたね。
長女の時、マタニティダイアリーを書いていたので下の子用にもちろん買っていたのですが、当時、娘のことで頭がいっぱい。時間はいくらでもあるのに、どうしても向き合えずに書けませんでした。たまに書こうと思っても、「お姉ちゃんは何してるかな?」などとなってしまい……。振り返って見てみると、長女のマタニティダイアリーはびっしりなのに、長男のノートはほぼ白紙状態。安定してから必死に埋め合わせるように記憶を辿っては書き足しましたね。
ついに退院。長女と2ヵ月ぶりの再会
ひたすら安静な日が1ヵ月半間続き、妊娠5ヵ月でやっと退院。その後も自宅安静が続き、2週間後に娘がやっと自宅へ帰ってきてくれました。
とにかくたくさんたくさん、ギューッてしてあげて、一緒に寝るのが嬉しくてたまりませんでした。
その後、出産までの4ヵ月は、特に制限もなく普通に過ごすことができましたが、娘が私にべったりになってしまい、検診に行く際に、母に預けようとしても、また置いて行かれると思ったのか号泣。なるべくどこに行くのも一緒にするようにしていました。
長女に続き、帝王切開で出産
出産は長女が帝王切開だったので長男も帝王切開に。長い入院生活で若い女医さんと仲良しになっていたので、手術中は意識もあり和気あいあい(笑)。世間話をしながら、長男が誕生しました。「生まれましたよ! 本当にお疲れ様。よく頑張りましたね!」と長男を見せてもらえた時は、まず「長かったー」という気持ちで涙がつーっとつたいましたね。
響きわたる「バイバイキーン! バイバイキーン!」長女の精神的ストレスがMAXに
翌日から母子同室。高熱も続き、傷口も痛み、なかなか動けず。赤ちゃんが泣いたり困ったりしたらすぐにナースコールを。と、しばらく安静状態が続きました。
産後3日後に娘と面会室で会えることになりました。
彼女は、赤ちゃんがいるということは認識していますが、自分の弟ということは理解できていない。突然やってきた赤ちゃんの存在にとまどっている様子。大泣きしながら、病院中に響き渡るような大声で「バイバイキーン!」と怒鳴りながら私から逃げ、パニックに陥っているようでした。当時、気まずかったりその場にいたくない、いたたまれない時に使う言葉が「バイバイキーン」。入院中の10日間、“また私に置いて行かれた”“また見捨てられた”という気持ちで、私のことを思い出さないようにしていたのに、また突然現れて「なんで?!」「どういうつもり?!」と訴えているようにも見えました。
それからも主人や母に連れられて毎日病院に来てもどこか他人行儀。抱っこも嫌がり、触れられるのも嫌!という感じでした。
私自身、術後でまだやっと歩けるかくらいの体調でしたが、娘の大好きな階段に一緒に行き、上ったり下りたりを繰り返しながら、少しずつ娘との心の距離を縮めました。
今も少しその時のトラウマが残っているのか、不安になると吐いてしまったりと精神的に不安定になることもありました。少しだけ言葉が分かるようになってきたので週に1度保育園に行くときは「ママ、絶対にお迎え来るからね!」とひたすら言い聞かせるようにしています。
2人のママになって思うこと
そんなこんなで今はすっかり日常生活に戻り、2人の0歳と2歳の子どもを抱え、毎日ぐちゃぐちゃで壮絶な毎日を送っています(笑)。でも、私自身、幸せって苦労の先にあると思っているんです。真っ最中は本当にしんどいし大変だけど、それがあったから今がとても幸せと思える。美容院にも買い物にもろくに行けない。毎日同じことの繰り返し。でも、2人がご機嫌でニコニコしている一瞬や、子どもたちが寝静まった姿を見た時、「あ……今日無事過ごせている」って一瞬平穏が訪れる。その瞬間がとてつもなく幸せに感じます。
きっと2人がこれから成長していく上に大変なことは途切れることなく続くと思います。でも毎日が上手くいきすぎていたらきっとちょっとしたことは幸せには感じないと思っています。何でもない日常だけれど、そんな毎日を感謝して笑顔で過ごしたい。そう思っています。これからもVERYを励みに、2人のママとして頑張ります!そして、落ち着いたらライター復帰をしたいなと考えています。
取材・文/石川 恵