月曜日、LINEを見ると本の画像と「読んだ!泣けたー!!」というコメント。それは前の週の金曜日、ライターさんに「とにかく読んでほしい」と渡した菊地ユキさんの著書『発達障がいで生まれてくれてありがとう――シングルマザーがわが子を東大に入れるまで』の感想と読了後の書影でした。
ライターさんの子どもは発達障がいではありません。でも、子育て中のママの心がすっと楽になるのではないかと思って読んでもらったもの。どうやら、覿面の効果だったようです。忙しいから来週になったら読めるかも…と言っていたのに週明けには感想がくるほど読みだすと手が止まらなくなる一冊。プロローグを特別に掲載します。
プロローグ
今日も、長男・大夢(ひろむ)からの返信はありません。
2日前。
「ちゃんとご飯、食べてる?」
秋田の自宅から、東京で寮生活を送る大夢に、私はメールを送りました。
それからまる2日、
48時間以上が経ったいま、私からのその問いかけに、返答が送られてくるようすは、まったくありません。
男の子なんてこんなものと思いつつ、母親ですから、子どもがいくつになったとしたって、その安否は気がかりです。
でも、私は思わず、こう声に出して笑ってしまうのです。
「大夢は、大夢だからなぁ~」
じつはこれ、いつものことなのです。こちらからの連絡にはなかなか返事をよこさないくせに、たまに向こうから電話が来たと思ったら、自分の興味のある内容だけを延々と、1時間でも2時間でも話し続ける。こっちの気持ちなどお構いなしで。昔もいまも、大夢はそんな子なんです。
たとえば、5年前の2月、節分の日。
当時、北海道で暮らしていた彼の携帯に、私は電話を入れました。
呼び出し音はしばらく鳴るものの大夢が電話に出ることはなく、そのまま留守番電話になってしまいました。
「縁起物なんだから、ちゃんと豆、食べるんだよ」
一言だけ、私はメッセージを残しました。
1時間後。改めて電話を入れてみますが、やはり呼び出し音のあと、留守電に。さらに1時間後にかけてみても、同じく呼び出し音のみで留守電に。その日は諦め翌朝、改めて電話しますが、前日と同様、呼び出し音が何回か鳴って、そのまま留守電に繫つながりました。
「おーい、大丈夫? 生きてる~?」
そんな、冗談半分のメッセージを残しました。そこから1時間おきに電話を入れますが、ずっと留守電。
翌日も、そのまた翌日も、何度かけても大夢はいっこうに電話に出ません。
あれ? これはちょっとヤバイのかな……。さすがの私も、少しずつですが不安が募ってきました。
そして、最初の電話から1週間後。この日も朝からまた、1時間おきに電話しますが、相変わらず長男の携帯電話の応答はありません。
「大夢! 大丈夫なの?」
そんなメッセージを残しつつ、繰り返し、繰り返し電話。それでも、午後になっても電話は繫がらず、折り返しの電話もありません。
これ、マジでヤバイ気がする……、もしも、大夢がひとりぼっちで助けも呼べずに苦しんでたら、いやいや、部屋でもう冷たくなっちゃってたら、どうしよう……、そうだ!学校だ、学校に電話だ。
「お母さまのご心配はわかります。ですが、学生は何千人といますから。残念ですが、こちらでは確認の取りようがありません」
大学の代表電話に出た事務局の人にそう言われてしまい、私は途方に暮れてしまいました。
これは、いよいよかな、警察に連絡しないとダメなやつかな……、そう思い電話を手にした、まさにそのときです。私の携帯電話に大夢からの着信がありました。
「もしもし、大夢⁉」
思いがけず、大きな声が出てしまいました。対して長男は、いつもの調子。どこか、とぼけたような、寝ぼけたような、普段どおりのおっとりした口調です。
「なーにー? いっぱい着信あったけど」
「なーにーでねぇ!」
ますます、声が大きく、荒くなる私。ただ、一言だけ「豆、食べなよ」と伝えるつもりが……、もう、とっくに節分なんか過ぎちゃってるし!
「なんで? なんで、あんたは電話に出ないのよ⁉」
「うるさかったから」
「はっ? う、うるさいって、お前ね……、なんで折り返してこない? 留守電のメッセージは聞いたの⁉」
「たぶん聞いた……覚えてないけど。お母さんの電話はだいたいくだらないから」
絶句。返す言葉も見つからず、私は電話を切りました。
携帯電話を握りしめたまま、怒りにワナワナと震え、それでも、無事に生きていてくれたことに安堵し、つい条件反射的に目から熱いものが溢あふれそうになってしまうのを、悔しさと怒りでグッとこらえました。
「な、なんなんだ……」
いわゆるひとつの親心っていうやつを激しく弄もてあそばれたような気持ちになって、すぐには立ち上がることすらできそうにないほど、どっと疲れが出ました。
それなのに……、私は自然と笑みがこぼれてくる自分に気がつきました。
幼いころ、大夢は行列に並んでいることさえ、できない子でした。
保育園の発表会では、皆と同じことがまったくできないばかりか、大騒ぎして、周りに迷惑をかけ、邪魔者扱いされて1人退場させられて。
ちょっとしたことで、お友だちをすぐに叩いたり、蹴ったりして、先生やお友だちのお母さんから、私はいつもいつも、苦情や厭いや味み を言われていました。
小学校では授業中、じっと席についていることすらできなくて、私はしょっちゅう学校に呼び出されました。
そうだった……、あのころの私も、毎日毎日、泣きだしそうになりながら、大夢に大きな声で怒鳴り散らしていたっけ。
でも……。
給食に持参する〝マイ箸〟。大夢はいっつも、学校から箸だけ持ち帰ってきて、箸箱を忘れてきていたんです。ある朝、「箸箱もちゃんと持って帰ってきて!」ときつく、きつく言い付けると、その日の夕方、大夢は少し誇らしげに「はい」と箸箱を差し出したんです。でも、その箸箱の中に、箸は入ってない!
もう、あまりのことに、怒るのも忘れて、呆あきれるのも通り越して、ウケました。
大笑いしながら思ったんです。
「こいつはこいつ……、大夢は大夢なんだ」
大夢からやっとかかってきた電話に、ある意味、打ちのめされて惚ほうけた頭に、そんな懐かしいシーンがぼんやりよみがえってきて。なんだかおかしくなって、頰が緩み、笑いがこみ上げてきたのでした。
母子家庭で、金銭的にも精神的にも、余裕なんてこれっぽっちもないのに、とてつもなく手のかかる息子を持って、あのころの私はどうしていいかわからなくなっていました。
「こんな子を1人、残して逝けない」とか、「とにかく私は大夢より1日でも長生きしなきゃ」とか、そんなことばかり考えてしまって、しまいには「いっそ、この子を殺して自分も……」と、実行に移そうとしたことだってあります。
そんな、絶望感いっぱいの毎日だったけれど、でも、こうも思っていたんです。
この子が苦しい思いをするとしたら、それは「お母さんを悲しませてるのは僕なんだ、僕のせいでお母さんは落ち込んでるんだ」っていうふうに感じたときだ、と。
だから、決して泣くまい、箸箱のエピソードみたいに母子で笑えることを1つひとつ見つけていきながら、私はこの子の前ではいつも笑っていよう、そう心がけていました。そして、「大夢は大夢なんだから」という信念にも近い思いを抱き続けたんです。
そうやって、大夢と真剣に向き合っていくうちに、大夢はいつの間にか学校の授業もちゃんと出られるようになりました。それどころか、大好きな科目を見つけ、成績もどんどん伸びていって。期待なんて、本当にまったくしていなかったのに、どんどん上の学校に進学していったんです。
そして去年。
信じられないことに大夢は大学を首席で卒業し、そして、日本でいちばんと言われている大学の、大学院生になったのでした。
子どもというのは大夢に限らず皆、ダイヤモンドの原石なんだと、私は思います。私を悩ませ続けたあの日々は、きっとあの子のゴツゴツ、ザラザラな原石の時代だったんだと。
そして、わが子を信じて、諦めることなく、そのゴツゴツ、ザラザラを磨き続けたら、どんな子でもいつかはキラキラと眩まばゆい光を放つに違いないと確信しています。
私は決して教育や福祉、ましてや医療の専門家でもありません。
それでも、シングルマザーの私と、地元で初の「発達障害児」と診断を受けた長男・大夢との日々を思い起こし、したためることで、ほんの少しでもいま、子育ての悩みの渦中にある人たちの力になれたら、そう思っています。
そして、このプロローグを書き終えたいまでも、大夢からの返信は……、はい、もちろん、ありません(笑)。
発売中のVERY10月号では著者インタビューも掲載!
菊地ユキ 1969年生まれ。秋田県立金足農業高等学校、秋田美容専門学校卒業。2005年、美容室「フェールネージュ」開業。「余談になりますが、30代の頃、『VERY』が好きで、美容室から持ち帰って読んでいました。三浦りさ子さんの写真を切り抜いて冷蔵庫に貼ったりしてました。〝いつか絶対『VERY』の似合う女性になる!〟と夢見てました」とのこと。『発達障害で生まれてくれてありがとう シングルマザーがわが子を東大に入れるまで』(光文社/¥1,500+税)。Instagram:yuki.kikuchi.office.ANRI