産後で寝不足、毎日忙しなくタスクをこなすなかで、本を開いてもすぐ眠くなっちゃったり、頭に入らなかったり…。忙しくてなかなか読めない、そんな日々でも、やっぱり「本」だからこそ救われたり、得られるものがあるはず。作家・柚木麻子さんにママたちにシェアしたい、心に響いた一冊をおしえてもらいました。
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『小山さんノート』
この一冊が私の元に届いたことの奇跡に目がくらむ。そして、この言葉を届けてくれた人たちと小山さんへの敬意でいっぱいになる。
小山さんは都内のテント村で暮らした実在のホームレス女性で、十年前に亡くなっている。この「小山さんノート」は、有志の方々が、小山さんが残した膨大なノートを文字起こしし、編集したものだ。小山さん自身、出版のあてはないけれど、誰かにとって意味がある記録になると信じていた気配もある。
天候一つに左右されるギリギリの暮らし、日によってばらつきのある食生活や不衛生な環境、行政による理不尽な立ち退き要請、テント村内でのハラスメントや同じテントで暮らす男性からのDV、彼から自立しようとして失敗する様子も綴られるが、伝わってくるのはまばゆいような心の豊かさだ。小山さんはテントの中を「キラキラ」なる工作でいっぱいに飾り、音楽堂のそばでダンスし、身の回りを丁寧に整え、東京の自然を愛で、読書をし、お金ができると喫茶店でコーヒー一杯を飲みながら、ノートを書く。空想の中で日本を離れてフランスを旅し、ルーラという架空の人物と交流する。その文章はエレガントで笑いのセンスも滲む。小山さんを潤すのはいつだって、文化と芸術なのだ。決して上手に立ち回れるタイプでもパワフルでもない。でも、小山さんは自分の心身の守り方をよく知っている。安全が担保されるとしても、行政の力は絶対頼りたくない。くつろぐのは図書館ではなく、喫茶店でないとダメ。テント村内での力関係には従わない。それはわがままではなく、強靭な抵抗力の現れだ。小山さんの知性だ。キラキラでいっぱいなのに、カウンターになっているのが本書の凄みだ。
「役にたつことをしなければ」「私は私のままじゃダメだ」という私たちの強迫観念は一体どこからくるのだろうか。小山さんの日々の記録は、その正体を突きつけてくる。
今年は胸がえぐられるようなニュースばかりで、読者さんの中に、次世代のために少しでもマシな世界になるよう願う方が大勢いるはずだ。そんな方にはまず、小山さんの日々に触れてほしいと思うのである。真新しい商業施設でいっぱいの都会の風景がまた、違って見えてくるはずだから。
『小山さんノート』
小山さんノートワークショップ編、¥2,640/エトセトラブック
「小山さん」と呼ばれたホームレスの女性が書き残したノートの抜粋と、ノートを8年かけ文字起こししたメンバーそれぞれのエッセイを収録。
柚木麻子さん
作家。1981年東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞受賞。2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞受賞。『BUTTER』『らんたん』、児童書『マリはすてきじゃない魔女』など著書多数。
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撮影/須藤敬一 デザイン/押尾綾音 編集/羽城麻子
*VERY2024年1月号「誰かにシェアしたい一冊、何ですか?」より。