いろんな働き方が許容される時代だからこそ、やりたいことを叶えるために働く場所を移る女性たち。今回は、幼稚園教諭から留学・転職を経て起業した、中川早智子さんの転職ストーリーを伺いました。
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独立も副業もアリな時代、
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ママたちの転職履歴書
(株)サステナブルエデュケーション
中川早智子さん(40歳)
短大を卒業後、幼稚園教諭に。シドニーへ留学しプリスクールや日本語補習校で勤務。一度帰国し専門商社で働いた後、ドイツへ。プリスクール勤務、ボランティアなど。2025年1月よりプリスクールを東京・港区にオープン。
CHRONOLOGY
・20歳
大阪府の私立幼稚園にて3年間勤務
担任を持ち、一日12時間勤務などかなりハードに勤務
・23歳
シドニーへ留学
現地のプリスクールや日本語補習校などで勤務
・26歳
帰国後、輸出専門商社に転職
アメリカやオセアニア担当として年6回ほど海外出張へ
・28歳
渡独し、現地プリスクールにて勤務
その後、ドイツ国際平和村で住み込みインターンシップ
・30歳
帰国し上京
人材業界でのキャリアをスタート
・34歳
結婚
・35歳
Indeed Japan(株)の中途採用部門へ転職
・36歳
長女出産
・37歳
日本マイクロソフト(株)の人事本部へ転職
・39歳
退職し独立
糸島の家が完成し、二拠点生活がスタート
・40歳
(株)サステナブルエデュケーションを設立


帰国後は人事系の職種に。「採用でその人の独自性を見るのは、幼児教育にもつながるところだなと」。「夫とはpairsで知り合いました。事業をやりたいと書いたらあまりマッチングせず、唯一興味を持って話を聞いてくれたのが、同じ経営者の夫でした(笑)」
・唯一、起業を面白がってくれた夫と結婚
・幼児期の教育には、学習より遊びが大切だと思った
・来たくなる職場作りで働き方改革を
おっとりな自分が変われた、
海外での経験
最初に勤めた幼稚園は、保護者への手紙を手書きではなくワードで作ったら怒られるような職場。そんな空気になじめないわたしのあだ名は「宇宙人」でした(笑)。思えば、労働環境について無知でしたね。海外の幼児教育を見てみたいという気持ちもあり、シドニーへ海外留学をすることに。占い師さんに「南へ行け」と言われたことも後押しになりました(笑)。アルバイトをしながら語学学校に通う中で、緑に囲まれたとても素敵な学校を見つけ、辞書を片手に面接をお願いしたことも。小さい頃からなんでも一番最後に参加するタイプでしたが、海外で「自分で扉を叩く楽しさ」を知りました。
帰国後は海外営業の仕事に就いたものの、もう1か国語習得したいと思い、今度はドイツへ。高校生の頃に、その活動に感銘を受けたドイツ国際平和村を思い出し、インターンシップとして入ることに。そこは紛争などが起こっている地域の病気や怪我の子どもたちをケアする施設で、そこで働いた半年が人生で一番濃かったです。子どもは怪我や重い病気を抱えていても目に力があり、意思をはっきり持っていて。その目を見て、カリキュラム重視ではなく、意思や個性を尊重できる保育施設が日本にも広まればいいな、と思ったんです。子どもが好きで、幼児教育に関わりたいという気持ちがずっとありましたが、自分でプリスクールを作ろうという想いが固まった瞬間でした。またかつての経験から、先生たちも「来たくなる」職場にしたいなと。連絡帳のかわりにツールを利用するなど、合理的にできることはどんどん取り入れる。保育は絶対にリモートにならないからこそ、働き方改革も絶対に必要だと思っています。
撮影/曽根将樹〈PEACE MONKEY〉 ヘア・メイク/Hitomi〈Chrysanthemum〉 取材・文/有馬美穂 編集/太田彩子
*VERY2025年2月号「ママたちの転職履歴書」より。
*掲載中の情報は誌面掲載時のものです。