子どもが事故に巻き込まれたニュースでは「同じ子を持つ親として~」という街の声が必ず添えられる。そこには「子のない人にはこの気持ちはわからないだろう」という親同士の無意識の「共感」が。「異次元」の首相からは、産休中にも『学び直し』せよとも聞こえる発言も。子育ての環境は改善されず、つらい親同士は「共感」し、結束し、環境の異なるものを「あなたにはわからない」と分断する。お互い自分の「環境」から「ではないほう」を想像してみることが大切、と語る『父ではありませんが』を出版した武田砂鉄さんにお話を伺いました。
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『父ではありませんが』を出版した
武田砂鉄さんの「当事者性」
「〜ではない」立場から
見えてくること
profile
武田砂鉄さん
1982年東京都生まれ。月刊VERY初登場は2015年11月号の「VERY聖地ルポ」。以来、形を変えながら連載が続き、現在は「VERYな言葉狩り」。トレードマークの「冬でもメタルTシャツ」、当日はMEGADETH。あのマーティ・フリードマン氏もかつてはギタリストとして参加していました。
「子どものいないあなたには
わからないだろうけど」
──これからの社会においては「父親である」だけではなく「父親ではない」ほうからも言葉を投げていかなければ、置かれている立場が同じ住人たちのみで対話が済まされてしまう、と武田さんは月刊VERYの連載でも書かれています(’22年10月号)。そして「で、どうなの子どもは」と一方的にマウントを取られたり、「あなたにはわからない」と分断されたりする実情があって。
1年半ほど前に『マチズモを削り取れ』(集英社)という、男性優位社会を追及する本を書いたのですが、そこでは、いま女性はどういう立場に置かれているのか、と、自分とは異なる立場を繰り返し想像する機会を持ち、自分は「女性ではない」立場として考え続ける必要性を感じました。同じように「結婚してるけど父親ではない」という自分の立場としても考えるべきだと思ったのです。「子どものいないあなたにはわからないだろうけど」と、直接的に言われることもあれば、間接的に言われることもある。この感じってなんなのかな、と。
──父親でない立場から考えてみた。
たとえば、長年の友人から昔話をされて、「この話面白いだろ?」と言われたときに、「面白くないね」と返すと、ある程度笑いが起こります。でも、子育ての話について、「この話、面白くないよね?」と言われたときに、「そうだね、そんなに面白くないよ」と返したら、なぜか場が凍り付いてしまった。この感覚はなんだろう、というのを探ってみたかったんです。
──この本には「共感」「普通」という言葉がたくさん出てきます。子どもを持つもの同士が共感して、それが普通に変わっていく。
世の中のスタンダード(=普通)の枠組みの中にいたほうが難は少ない。「ある」「である」「持っている」という状態が当事者性や経験につながるわけですが、「親」「子育て」について、自分は「ない」「ではない」「持っていない」という意味での当事者性がある。これはどんな人でも、どんな事柄についても同様です。どんな人でも何かの当事者であり、何かの当事者ではない。「みんな仲良く」という同調圧力が強い社会ですが、あの人とこの人は立場も考えていることも違う、という状況をそのままにしてもよいのではないか。今回の本では、「父親ではない」から考えてみたわけです。
──「父親ではないという第三者」だからこそ見えてくるものが……。
父親ではない第三者性とは何かを模索しながら書いていきましたが、書き終わってみても、何かを探し当てられたわけではありません。ああだこうだと考え続けています。読んでくださる人にも、そのプロセスに巻き込まれるように考えてほしいと思っています。
──子どもを持った女性のハードな状況も書かれています。
産むという自分の選んだ道を突き進むためには、周りの同じような立場の人同士で声を掛け合いながら進んでいくしかない。子育てを取りまく社会があまりに非協力的なので。
──最近のマクドナルドのCMに「選んだ道を正解にしていくしかないよ。自分でさ」というセリフがあって、選んだ道を正解=普通にするしかないのかな、と。
自分より上の世代が認識している家族像は、われわれの世代のそれとはズレてきています。それでもまだ「普通」にはめ込もうとする。岸田首相が「異次元の少子化対策」と言っていますが、それを突き進めると、われわれの世代に対して、「産んでくれ」「産むのは基本的な所作なんだぞ」という圧が強まり、真っ先に女性に対して強い負荷がかかるのではないでしょうか。
──タモリさんが「新しい戦前」と言ったように、国のために「産めよ殖やせよ」と。
さすがに直接的には言わないはずですが、結果的に同様の狙い・施策になっていくのではないか、という警戒心を持ちたいですね。
──この本を連載時から読んでいた2人のお子さんを育てている女性の感想があります。「母親という当事者性は大変に強固であり、『母である』振る舞いを求められること、それを喜ぶことを求められとても違和感を感じてきました。『母親になって後悔してる』(新潮社)が、母親当事者たちの隠された声を明らかにしたように、『母として』の当事者性が、その人の目を曇らせたり、世界を狭めてしまっている側面もあるのではないでしょうか。『VERY』は、『母親である』当事者性の価値を大変に高めてきた雑誌だと思います。母親という当事者性から物事を考え、発信するというのは非常に大切な視点ですが、こと子育て中は、当事者ばかりの語りの中で生きることになりやすい環境でもあります。VERYの読者たちも、そういった閉塞感のようなものも、既に感じておられるのではないでしょうか」という。「共感」から「普通」へ、それが閉塞感へ。『VERY』というのは、武田さんも「共感買い」を言葉狩りされたように(’22年9月号)、わりと共感から入っていく雑誌です。
「VERY」と書いて「共感」と読むくらい(笑)。
──私も、取材した方の年齢や仕事の有る無し、お子さんの年齢や性別を「基本動作」として書いていますが、あれも共感の糸口。読者調査も実際共感を探っている。
雑誌はどうしても、「旬の共感はどこにあるのか」という視線を大切にします。当たり前のことです。僕は6年くらい連載をしていて、毎月VERYを熟読していますが、当初は「みなさん、この方針についてきて」という太い幹のようなものが一本ありましたが、徐々に枝葉があってもいいよ、とバリエーションを用意する感じになってきた。やがて、幹自体が溶けてきた。誌面に未婚の人はあまり出てこない印象を持ちますが、離婚した女性、子どものいない女性、という、かつてのVERYが幹としていた層とは異なる「そうではない立場」に対する理解が進んでいるのかな、という感じを受けています。
多様性が「普通」を
溶かしていく
──男性の書いた育児本を読むと、「自分が成長した」とか「気づきがあった」とか、意識高いけど転んでもただでは起きない系が多く、「男ってやつは」と思ってしまいます。逆に、お気楽で当事者性も薄いので、子どものいないたとえば武田さんを詮索してくる男性も少ないのではないかと思うのですが。
徐々に変わってきているかと思いますが、男性にとっての子育てというのはオプション的に用意されているものが多いですよね。子育てがオプションだけではありえない女性の場合は、女性同士の日常会話に入り込んでくる。私の妻も、子どもがいないことについて問われることが結構あるそうです。自分はそんなに言われない。この差は大きいと思います。
──出生動向基本調査(国立社会保障・人口問題研究所)の2022年9月の調査によれば、未婚女性の「一生結婚するつもりはない」女性は前回(’15年)の8%から14.6%に(男性は17.3%)、「結婚したら子どもは持つべきだ」という肯定的な答えの割合は女性が67%から37%に、(男性は75%から55%に)激減しています。男性のほうが「子どもは持つべきだ」と思っているのも気になるところですが、今後、子どもを持たないという人、母親になって後悔している人の「共感」が集まり、それが「普通」になっていくということもあり得るかと思いますがいかがでしょうか。
いま、口を開けば「多様性」と言われて、その言葉の定着がどのような社会を作るのかはまだ見えませんよね。本当に考えられているのか、言葉として言われているだけではないか、という疑いだってある。でも、言葉が定着することで、確実に選択肢が広がっていく。「多様性」が「普通」という存在を溶かしていくようなイメージです。「普通」の枠組みにとらわれずにそれぞれの判断をできるように、自分の主体性を保てればいい。みんな、人生1回目なんで、結婚生活にも、結婚してない生活にも慣れてない。慣れてないから、戸惑うし、比較もしてしまうし、至るところ至らないところを注視して、喜んだり嘆いたりする。統計で示されると「最近の若い人は子どもを持つつもりがないのね」となってしまいますが、それはひとつひとつ、いろんなグラデーションの中での考えから出てきたものなので、それを否定してはいけないと思う。出生率が上がらなくても、産まない人たちを指さすんじゃなくて、環境をどうすればいいのかを考えてほしいですね。賃金を上げる、女性が職場復帰しやすくする、保育所や幼稚園の体制、そちらを考えて欲しい。
──この本は「父ではありません」とは対極の、「母である」人にこそ読んでほしいと思うのですが。
どんな本でも、いろんな立場の人に読んでほしいですけど(笑)、子育てをしている女性は、自然と周りに子育て中の女性が多くなってくるはず。すると、自分のようなものを書いている立場の人は、向こう岸にいて、何かぼそぼそしゃべっている感じで、なかなかその声が届かない。でも、こういうこと考えているやつがいるぞ、ということを知るだけでもいい。別にこちらから熱いメッセージを送るわけでもないんですが、もしかしたら、閉塞感や苛立ちからの抜け道、通気口みたいなものが開けるかもしれない。もちろん、こちらだって聞きたいですし。
──「普通」からちょっと外に出てみる。
たとえば、ベビーカーで新宿駅を移動するのが大変だということを、子育てしてない人間が想像する。具体的に何ができるかわからないですけど、そこで生じている殺伐とした状況を防ぐことができる。誰もが何かの当事者だし、それ以外の当事者じゃないと考えたときに、第三者である自分が何を考えるか、この思考を重ねていきたい。父親という枠組みに限らず、どんなことでも、「ではないほう」から考えることが大切だと思うのです。
book
『父ではありませんが
第三者として考える』
集英社 1760円(税込)
「結婚してるが父親ではない」という「当事者」から見えてくるものとは。集英社宣伝部が発行する91円で内容充実のPR誌「青春と読書」で連載されたもの。「あれも、これも、考えてみる。自分とは違う誰かのことを想像してみる。人と人が柔軟な姿勢で接すれば、差異を理由にした諍いが生じにくくなる。成熟した社会はそこから開けていくはずだ」(本書より抜粋)
撮影/須田卓馬 イラスト/石井七歩 取材・文/フォレスト・ガンプJr.
*VERY2023年4月号「『父ではありませんが』を出版した武田砂鉄さんの「当事者性」「〜ではない」立場から見えてくること」より。
*掲載中の情報は誌面掲載時のものです。商品は販売終了している場合があります。