専攻は競争戦略という経営学者・楠木建さんの出した新書『絶対悲観主義』。最初は、GRIT(困難に直面してもやり抜く力)無用、レジリエンス(逆境から回復する力)不要のちょっと変わった仕事術として30~50代のビジネスパーソンに売れていましたが、徐々に他の層にも浸透し始めています。これは仕事だけではなく、子育てにも、夫婦関係にも応用できるのでは、と思いお話を伺いました。
*インタビュー内容はVERY2023年2月号に掲載時のものです。
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著者・楠木 建さん インタビュー
仕事も子育ても、
「絶対悲観主義」で行こう!
PROFILE
くすのき けんさん
1964年、東京都生まれ。経営学者、専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。現在、一橋ビジネススクール教授。『ストーリーとしての競争戦略 優れた戦略の条件』は30万部を超えるロングセラー。書評家としても活躍中。
いつもいかなる時も、
うまくいかない
──そもそも「絶対悲観主義」というのは仕事に対する構えの話で。
仕事哲学という位置づけで考えています。「自分の思いどおりになることなんてない」という前提で仕事に向き合うということです。一般的に悲観主義、楽観主義という分類がありますが、それとちょっと違うのは「絶対」が付いている。「絶対悲観主義」というのは、条件とか、自分の得意不得意、仕事の相手とか、そういう状況に左右されず、いついかなる時、何をやる時でもうまくいかない、と思っておくという構えです。
──これは得意だからうまくいくのでは、という予断を許さない。
通常の楽観主義とか悲観主義は、その人の気の持ちようっていうか、たとえば楽観主義はポジティブでいいよね、楽観的にいこうと言うと、「うまくやらなきゃ」「失敗できない」という気持ちになって、さらにはうまくいかなかったらどうしよう、という心配も出てきて、結果的に悲観主義になっちゃう。絶対悲観主義はけっしてぐらつかず、思いどおりになることなんてない、というふうに構えておく。
ただ、ひとつお断りしておきたいのは、これは「気性」にもよるので、みんながみんな絶対悲観主義でいくべきだなんてこれっぽっちも思ってません。
──向き、不向きがある。
僕は子どもの頃から自分には「闘争心がない」「気合いがない」「根性がない」と感じていて、己に勝つとかとんでもない。挑戦? いいんじゃない、僕はやんないけど、という、そういう気性の持ち主が世の中に出て、すべって転んでの挙句の果てに到達した仕事哲学なんです。
──たとえば、「友情、努力、勝利」といった「ジャンプ」的な価値観の人には合わない。
それがまさに気性なんで。僕はその「友情、努力、勝利」の価値は認めますし、素晴らしいことだと思いますが、それには自分の体がついていかないというタイプ。そういう人にこういう生き方はどうでしょう、っていう話です。
──私も「友達いない、努力しない、負け続け」の人生なので、そういうタイプです。
さて、事前の期待と事後の結果を組み合わせて4つのパターンがあると本に書かれていて、
① 事前にうまくいくと思っていて、やってみたらうまくいった ② 事前にうまくいかないと思っていて、やってみたらうまくいった ③ 事前にうまくいくと思っていて、やってみたらうまくいかなかった ④ 事前にうまくいかないと思っていて、やってみたらやっぱりうまくいかなかった
絶対悲観主義では①と③は自動的に排除。現実には④が多いけど、「そりゃそうだよね」と自然体で受け止められる。
──通常運転。
理想は②ですよね。①番でうまくいくと思っていた人より、相対的に喜びも大きい。
他人はコントロール
できない
絶対悲観主義はものすごい簡単にできるんですよ。やることは事前の心持ち=マインドセットのつまみを思いっきり悲観方向に回しておくことだけ。指一本動かさない。アプリも電波環境も充電の必要もない。この簡便性が一つのメリットだと思っています。
──持続可能性がある。
ちょっと論理的な話をすると、僕は「仕事とは趣味でないもの」と定義していて、釣りは趣味で、漁師は仕事。趣味は100%自分に向けた活動なので自分さえ楽しければオッケー。ところが仕事というのは、自分以外の誰かに価値を提供して初めて仕事と言える。仕事には絶対に相手=お客が存在します。会社なら周りで働いている人も広い意味でお客です。
──雑誌で言えば読者。(そして上司など)。
そうです。お客というのはコントロールできないもの。イーロン・マスクでも無理矢理テスラを買わせることはできない。それをやったら強要罪ですから。政治的には自由主義、経済的には資本主義、というか市場主義。自由意思という原則で動くというのが近現代の社会システム、原理原則なので、仕事というのはその定義からして思いどおりにはならない。ですから論理的に言って絶対悲観主義は仕事の構えとして自然だと思うんです。
──楠木さんが「絶対悲観主義」にたどり着いたのは?
紆余曲折があってそれは省きますが、社会に出て右も左もわからなくなって、じゃあどうするんだ、という時に、努力、根性、今にみてろよ、という人だったら克服できると思いますが、僕は気性としてどうしてもできない。このままいったら何にも達成できないんじゃないか、という気分になった時に、なにひとつ思いどおりにはならない、というふうに思っていれば心安らかに仕事できるんじゃないかと思って。
──悟りですか?
これ、ストイックだって誤解されるんだけど、逆なんです。僕は人には甘いですけど、自分にはもっと甘い。そういう大甘な人間が、それでも世の中と折り合いをつける時に、そういう構えを持ってるほうがむしろ前向きになれるということなんですね。
──私もまったく同じ、甘いです、自分には。
それは気性なんで。性質、体質といった、変えられないものを性格と言います。
──若い頃は、こんなページにしたいという理想に近づけようと思っていたのですが、なかなかうまくいかなくて。やがて、取材対象者はもちろん、モデル、ライター、カメラ、レイアウター……、みんなそれぞれ自分の理想や都合で動いている、コントロールはできない、という当たり前のことに気づきました。
人間社会の大前提ですよね。性格や考え、利害が異なる人たちとなんとか折り合いをつけて動いていくのが仕事なんで。
──そして、おおまかな方針以外はゆだねることにしたら、仕事のとっかかりが早くなり、締切りも守れるようになりました。「絶対悲観主義」のメリットのひとつ「仕事の立ち上がりが早くなる」というのは本当です。任せたほうが自分では思いつきもしなかったアイデアも出てきたりする。
仮説を立て、研究調査して論文にして発表するというのが僕の仕事の基本動作なのですが、じゃあ、学会で発表しましょう、と言うと「えーっ」って嫌がる人がいるんですよ。失敗したらどうしよう、評価されなかったらどうしよう、って思うみたいで。僕は評価されるなんてそもそも思っていないので、なんの躊躇もなく発表する。で、がんがん批判されます。「そうだろうな、でもこの批判する人とはなんで考えが違うのかな」って結構楽しめるし受け止められる。その様子をみて「メンタル強い」とか誤解する人がいるのですが、そんなにうまくいかない、とはじめから思っているだけなんです。
──こういう企画は読者に反発されるのでは、とあまり思わなくなって。と言ったら編集長に怒られますが、あの大谷だって打率3割に乗せるのがやっとだし。
僕はいま、「競争戦略」という分野で、基本的に商売をやっている人に直接自分の考えを届けるということを展開しているのですが、そうなるとありとあらゆる人から「逝ってよし」「ハゲ」とか批判、罵詈雑言を浴びます。考えが違うというのは、好みが違うのと同じように自然なことですから。
──やっぱりメンタルが強いのでは?