仕事、家事、育児と日々忙しく過ごす中で、少しでも家事の負担が減るなら、と時短家事の本を読んだり、掃除・調理家電を試したりしました。それでも、「私ばっかり家事をしている」「家事がなければもっと仕事ができるのに」といったわだかまりは消えません。作家の山崎ナオコーラさんは、あえて逆の発想で「家事をしたからこそできるようになること」に目を向けたそう。山崎さんの言う「家事で革命を起こす」とはいったいどんな方法なのでしょうか?
山崎ナオコーラさん
1978年生まれ。作家。現在は、子ども2人と、書店員のパートナーと共に、東京都のいなかの方に住みながら執筆を行う。性別非公表。2004年、『人のセックスを笑うな』でデビュー。育児エッセイ『母ではなくて、親になる』、容姿差別エッセイ『ブスの自信の持ち方』、契約社員小説『「ジューシー」ってなんですか?』、普通の人の小説『反人生』、主夫の時給をテーマにした新感覚経済小説『リボンの男』など著書多数。目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。
そうだ、家事で「革命」を起こそう
──「家事に革命を起こす」ではなく「家事で革命を起こす」とはいったいどういうことですか?
1人目の子どもが生まれた5年ほど前、仕事と家事、育児の両立の難しさに直面していました。私はフリーランスなので育休はありません。もともと在宅で小説を書いていたので、家事や育児と並行しながらでも仕事は何とか続けられるだろうと考えていたのですが、産後は予想通りにいかないことも多かったです。なんだかんだで家事・育児に時間を使ってしまって、思った以上に仕事が滞りがちでした。そんな時、Twitterを見ると作家仲間は皆、イキイキと仕事をしている様子だったんです。海外に行ったり、著名人と対談していたり、いい仕事をしているのを見ると、その間、家事・育児で延々と同じところをぐるぐるとループしているような私の生活は何なんだろうと思いました。保活に失敗した私は、子どもを幼稚園に通わせていたのですが、選んだ園は子どもの足で寄り道をしながら歩くと送迎に往復3、4時間ほどかかります。私は郊外に住んでいるので野原や小川のある道を子どものペースに付き合って歩くとあっという間にそれくらいの時間が経っていました。ちなみに子どもが幼稚園で過ごす時間も4時間ほど。これはちょっと考え方を変えなきゃいけない。そのためには家事に「革命」を起こさないといけないと考えたのはこのころからです。仕方なく家事をやっているとか、家事をしているから本業が疎かになるのではなく、家事をしたからこそ「いい仕事ができた」「人間的に成長できた」と思えるような仕組みが必要だと感じました。
「時短家事」や「便利家電」では解決しなかった
はじめは時短家事の方法を試したり、掃除や調理家電を購入したりして負担を減らそうと思いました。でも、それだけだと、家事時間がゼロになるわけではないので、家のことをせずに仕事をしている人には永久に追い付けないんですよね。書店に行けば、家事のコツを教える本や雑誌はたくさん並んでいますが、「減らそう」とか「楽しよう」というものが主流です。仕事をすることで人として成長し、自己肯定感を高めることはさかんに推奨されるのに、家事に関しては、できればやりたくない、面倒なものとされてしまいがちで、「いかに減らすか」という方向性でばかり語られているのが残念でした。私は、「家事で成長した」とか「家事をしていたからこそこれだけの人になれた」と思われる存在になりたいと思いました。むしろ、人々がこぞって「家事」をやりたくなるような世の中の空気を作りたかったんです。実際、今後の社会はそういった方向に変わっていくのではないかと思うのです。これまでの労働環境は家事を誰かにやってもらうことが前提で作られていたけれど、コロナでそれも大きく変わりました。リモートワークも普及して、家事・育児や介護をしながら仕事をすることが社会に浸透したと思います。10年後20年後には働き方はもっと大きく変わっているだろうし、ベーシックインカムを導入するといった議論もあります。お金の意味が変わってくると、「収入を多く得ている人がえらい」という価値観も変わっていくでしょう。むしろ家事は人間らしい行為として尊ばれていく気がします。いま家事に対する不満があるのは、一人で抱えるタスクが大きく負担が多すぎることも大きな要因です。働き方が柔軟になれば、時間的余裕ができたり、家族で分担がしやすくなったりして、むしろ「家事をやりたくなる」世の中になるかもしれませんね。
「人間らしい」は魔法の言葉
──ものが捨てられないので、この本の中に登場する「アートとゴミの境目」といった話に親近感が。子どもの作った作品は、「もしかしたら限りなくゴミに近いかも」と思っても捨てづらいですね。
今後はAIにもできることは、仕事としての価値が下がってくるだろうとは思います。家の中の要・不要を分けるのはそれこそAIの得意な分野であって、ものが捨てられない感覚ってとても人間らしいと思うんです。私も片づけられない性格で、決してこのままでいいと思っているわけではないのですが、ものを捨てられないのは「AIにはできない人間らしいこと」と大事にしていい感覚なんじゃないかなと思っています。シンプルな暮らしが実践できている人は素晴らしいけれど、それが苦手な人は必ずいるので、そういう人まで全員が同じ方向をめざす必要はないと思うんですよね。うちは子どもの作ったものであふれているので、雑誌にのっているようなオシャレな住まいでは決してないけれど、親しい友だちは呼びますし、別に隠したり恥じたりする必要はないかなと思っています。
──これくらいたまったらものを捨てようとかルールはありますか?
我が家にルールとか約束事はまったくないですね。だから部屋は混沌としています。子どもが作った工作もたくさんあるんですが、一定期間経つと愛着がなくなることも多いみたいで「これ捨てていい?」と聞くと、あっさり「いいよ」と言われるのでそういうタイミングで処分しています。夫は書店員で私もこういう仕事をしているので、本の多い家ですが、本をついつい床に置いちゃうのって人間らしい行為な気がしませんか? AIだったら絶対、床に置かずにしまう方法を考えるだろうなと思います。AIに仕事を奪われるとかよくいうけれど、本を床置きするような人間らしさまでは奪えない。「人間らしい」って何にでも使えて価値あるものに思える魔法のWordなんですよ(笑)。
「稼いでいる人が偉い」はもうやめよう
──以前のエッセイでは、結婚後、「大黒柱は私だ」と仰っていました。今回の作品では2人の子の子育て、住宅購入など、暮らしの変化があるようですが夫婦関係は変わりましたか?
私は考え方に変遷があって、数年前に言っていたことですら拙いなと思うことがあります。結婚したとき、周囲の人から「これで安泰だね」とよくいわれました。安泰なんかじゃなくて、家族ができたら、私がもっと頑張って稼がなきゃいけない危機的状況なのに、結婚したというだけで型にはめられて誤解されるのがとても嫌でした。自分が家計の大部分を担っているのは確かなので「私が大黒柱」だと色々な媒体で書いたら、収入の多さを自慢するのはどうなのか、とか旦那さんの気持ちも考えろという批判がたくさん来ました。そういわれると確かにその通りで、自分でも反省し、大黒柱という言葉を使うのはもうやめようと思ったんです。夫婦どちらが収入を多く得ているかに重きを置くのは間違っていました。20年、30年前なら分業という概念が強くて、稼いでいる人が家にお金を入れて、稼いでいない人がその分家事をやるのが半ば当たり前でしたが、今はもう違います。お金を稼いでいる人が家庭内で意見が強く言えるとか、稼いでいない人により多く家事の負担がいくという考え方はすでに破綻していて、そういう社会にしてはいけないと思いました。これまで、多くの性差別反対主義者が、「女性も自立しなさい」「自分の収入を作りなさい」ということを繰り返し言ってきました。でも、そろそろ次の方向にシフトしないといけないと思います。円満な夫婦関係が永遠に続くわけではなく、離婚する可能性もあるから、一人でも生きていける生活力を身につけようというのは理解できます。ただ、それがこれまで進めてきた第一歩であり、経済力だけに価値を置かないことが第二歩です。今まで言われてきたのは「結局、お金を稼いでいたほうが生きやすいよ」ということ。今後は、経済力がない人でも堂々と意見を言える。収入の有無にかかわらず家事が大変なときは分配できるような世の中こそ成熟した社会なのではないかと思うのです。
「私ばかり家事をしている」からの脱却
──夫婦間で、自分のほうが家事負担が大きくてずるいという感覚にはならないのですか?
実は、結婚した当初は、私のほうが収入が多いから、夫がその分家事を多くやってくれるんじゃないかと勝手に期待していました。これって、私と違う性別の人からよく聞く話ですよね。でも、いざ結婚してみたら夫は、体力のいる書店員の仕事をしていて、家事をメインでする時間的、精神的余裕はなかったんです。それは本人や職場のせいというより、さきほどもお話ししたように「家事を誰かに任せられる人が仕事する」という前提がまかり通っていることが大きな原因だと思うのです。私は基本的に家にいるので仕事があっても、目の前の家事が自分の担当になってしまいがちです。結局のところ、私の家事比率がどんどん上がってしまいました。夫はそれでも家事をやるほうだと思いますが、不公平感がないわけではありません。問題の根本にあるのは社会システムだと思いますが、現状ではすぐに家事負担は減らないので、ならば家事があるからこそ人間的にプラスになる方向に持っていけないだろうかと試行錯誤したのがこの本を書くきっかけになりました。今までは家事に革命を起こすことで家事から解放されようとしてきたわけですが、これからは家事で革命を起こして、経済を概念から変えたい。「家事をやっているなんてすごい」「私もどうにかして家事をやりたい」と思う世の中にしてしまおうというわけです。
『むしろ、考える家事』
(山崎ナオコーラ・著)
¥1,485(KADOKAWA)
「家事はもくもくと手を動かし続け、『時短』や『効率良く』を考えながらやるもの、さっさと済ませて次の時間へ行きたい。」そういうふうに家事時間をマイナスなものとしてとらえると、その時間がもったいないではないか! そう気づいた山崎ナオコーラさんは、家事時間をむしろプラスなものと捉えて、楽しい考えごとに使うことに。料理、掃除、洗濯、子育て……日常の家事の時間に考えたことを綴る、新しい視点のエッセイ。
取材・文/髙田翔子