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【VERY妻の「リコカツ」体験談②】証拠集め〜親権獲得。大事なのはタイミングと順番

離婚活動、略して「リコカツ」。結婚や就職と同じように、“離婚”は人生の大きな決断です。だからこそ傷ついていても丸腰で臨まず、ちゃんと準備する……そんな「リコカツ」をして無事に離婚、現在は娘と二人で幸せに暮らしているというAさんに取材してきました。

ドラマ『リコカツ』も話題になりましたが、リアルな離婚までの道のりとは?
<1回目>に続き<2回目>は、Aさんが離婚を決意してから実際に「リコカツ」していく最中の様子を、お話ししていただきます。

「離婚しようと胸の内では決めましたが、離婚かそうではない道か、冷静に最後まで考えるのが大事だと思っていました。当時専業主婦だった私にとって、離婚してちゃんと生活できるのか不安でもありました」

穏やかだけれど芯の強さを感じさせるAさん。いよいよ自活に向け準備しながらの“リコカツ”がスタートします。

 

日本に帰国するために、
幼稚園受験を決意

 

「もう夫と一緒に住みたくない。母親が辛そうなのはきっと知らず知らず子どもに伝わってしまうし、自分が明るく元気に子育てをしていくためには娘を連れて帰国したいと思いました。ですが、海外での引越しってものすごく高くて…。子女教育や家族の病気などのただならぬ事情以外での帰国費用は自費負担と決まっていたのです。
そこで当初娘は赴任先の現地校に通わせるつもりだったのですが、幼稚園受験ができる年齢だったこともあり、これを帰国の理由にしようと思いました。こんな状況でもめげない心を育ててくれた自分の母校に行かせたい!とチャレンジを決意したんです」

Aさんの出身は私立の名門一貫校。リコカツに加え、ここに合格させるのも容易ではなかったはず。

「もともと夫も幼稚園受験には賛成していたので、会社に母子だけ帰国の許可も取り快く送り出してくれて」

そこから怒涛の幼稚園受験準備が始まります。秋の受験に向け夏に一時帰国し、幼稚園見学。娘を日本に慣れさせ、ネットで個人塾を検索。駐在先に戻る前にアポを取り、夏休み中にやるべきことを教えてもらったそう。そこからお箸の持ち方、じっと立って待つなどのタスクを、毎日地道にこなしたといいます。

「願書用の写真は自宅で三脚で自撮り。願書の添削も遠隔でお願いし、秋の本番一ケ月前くらいに一時帰国。日本で実技で出されるでんぐり返しやケンケンの練習などをするため、モダンバレエの教室と個人の受験塾に通い、集団演習や面接対策をしました。夫には1週間前くらいに日本に帰ってきてもらい、塾の面接の練習に同行するなど一緒に受験に臨みました。二カ月ちょっとくらいしか準備期間がなくて…。マイペースで早生まれなうえ海外の文化に慣れている娘には、しっかり返事をすることや、フラフープの枠から動かずに立つということを教えるので精いっぱい。集団行動での対応を見られる学校だったので、「ありがとう」「貸して」などのコミュ力アップを心がけただけで、後は赤ちゃんレベルで…。
でも海外にいたおかげで、周りのお子さんがしっかりしている現実を目の当たりにする期間が短かったのは私の精神的にはよかったのかも」

そして、結果は見事母校である志望の幼稚園に合格。

 

「娘に同じ学校に入れられた喜びはもちろん、これで本帰国できる!別居できる!というのも嬉しかった。そして入園のための準備が整ったタイミングで、夫にカミングアウトしたんです。
『浮気しているのを知っています。とても悲しい思いをして傷ついて、もう一緒に住めないと思っているので、娘のために別居してほしい。離婚を考えています』と。このときはなるべく自分を主語にしないで、作戦として『娘のために』というように心がけました」

実は娘の受験で一時帰国した際、日本で複数人の弁護士さんにお会いし、これから本格的に相談にのってくれる弁護士さん探しをしていたというAさん。そこで出会った女性の弁護士さんから「すぐに離婚しないほうがいい。基盤固めをしなさい」と諭されたこともあり、ずっと水面下でリコカツを進めてきたそう。

「夫は、まったく寝耳に水という驚いた表情でした。わなわなしていて、目が泳いでいましたね。夫は娘には愛情があったので、日本の幼稚園に少し通わせて、席を確保したら、また一緒に住めると思っていたようです。一度入園すれば海外から戻れる制度がある園(一貫校)だったので。
夫からはラストチャンスをくださいと言われたものの、もう戻りませんときっぱり拒否。家賃などの婚姻継続費用を払ってもらいながら、やりたいと思っていた仕事を始めました。とにかく自活しよう、と」

実母を亡くしていたAさんは仕事をするにあたり、託児先として義母に頼ります。

「微妙な関係ですが、働き始めたばかりでお金もなく、助けてもらえるものなら助けてもらおう、と思いました。それよりも、これまで義理とはいえ家族として関係を築いてきたはずだったのに、精神的に息子を守るばかりで私は守ってくれないんだな、とむなしい気持ちになりました。でも義母も義父を亡くし、息子に頼っている状況だったので、元夫には何も言えなかったのかもしれないとも思います」

 

いざ本格的に離婚交渉へ
辛い証拠集めの日々と引き換えに
手に入れた慰謝料

 

「当時は幼稚園受験の準備が重なっていたこともありましたが、なにより浮気を知らないふりをしての証拠を集める日々は苦しかったです。発見するものがえげつないことでの精神的ショック、あとは夜な夜な寝不足で…。平静を装って家事育児をこなしていましたが、ストレスはジムに通って運動することで解消したり、ブログを書くことで発散していました」

そう話してくれたAさん。いつか自分と娘を守ってくれるはずと信じ、苦しい思いで集めた証拠の数々。ついに具体的な離婚手続きの道へ歩みます。

「別居して約一年。その頃はまだ経済的な不安も残っていましたが、ついに夫へ離婚届を渡しました。ですが夫はすぐにサインをしてくれることはなく、平行線状態。そこで弁護士さんのアドバイスもあり、不倫相手への慰謝料交渉を開始することに。
まず夫には内緒で不倫相手の女性とコンタクトを取りました。最初は『していません』と認めなかったものの、証拠を次々と出すと最終的に認めて。お相手は社内の既婚女性だったのですが、お相手の夫にも会社にも知らせませんでした。
『ここだけで話ができればと思っています』ということを伝え、慰謝料300万円を提示し、その額をいただきました。これらはすべて弁護士さんが間に入ってのことです。」

元夫と一緒に自分の子連れで出かけたり、「二人の子が欲しいね」「いつかフリーになったら一緒になりたいね」などやりとりしていたという不倫関係の二人。証拠を見つけたらすぐに、怒りのまま向こうの夫や会社にもばらしたくなってしまいそうですが、ばらさなかったのには後述する意味もありました。Aさんは女性から300万円を受け取り、また一歩リコカツを前進させます。

 

離婚合意書をつきつけると
夫がまさかの親権要求…

 

義母の協力も仰ぎながら子育てと仕事を日々懸命にこなしていたAさん。がんばりの甲斐あって娘が小学校に上がる頃には自活の道筋が少しずつ見えてきたといいます。

「娘が大学卒業するまでにかかる費用を、携帯代や交通費まで算出して、養育費をもらいながらなら2人で暮らせると思える額を稼げるようになりました。私の父は離婚反対だったのですが、納得させるためにレポートにして見せて、なんとか理解してもらいました。」

その頃には離婚を決意してから3年が経過。相変わらず夫との離婚協議は平行線のままだったそう。ですが名字が変わるタイミングがあるので、娘が小学校低学年までには…と考えていたといいます。

「娘が小学校へ進学し、経済的な自信も出てきたので、本格的に離婚を進めようと考えました。ネットからテンプレートをダウンロードし、弁護士さんのアドバイスももらいながら自力で離婚合意書を作ったんです。それを渡し離婚交渉に入ると、親権だけは譲らないと夫が言い出しました。浮気に対しての証拠集めは万全でしたが、その点は予想外で用意していなくて。話し合っても埒があかないので、『弁護士にこれから相談しますので時間をください』と、あたかもこれから弁護士を見つけて準備をする体を装いました。
あちらはそれまでまったく準備をしていなかったようで、そこからバタバタと弁護士を立ててコンタクトをとってきました。向こうの言い分としては、親権を取るために出世を諦め、転勤しない地域限定職になり時短勤務にする、義母を頼るというものでした。私に収入がないと思っていて、親権を主張すれば自分が取れると思っていたんだと思います。
元夫は商社マンだから交渉は上手。結局約一年間、親権をめぐって書面で三十回ほどやり取りがありました」

ここで予想外に時間を取られることになったAさん。

「親権はほとんどの場合は母親が取れるとのことでしたが、預けられる実家が近くにないこと、自営業で収入が安定していないことなどが、もし裁判になった場合の懸念点でした」

それでも不貞行為を働いていた元夫に親権が渡ることは当然ながらありませんでした。

「最終的に親権がとれた決め手は、これまで苦しい思いをしながら集めた証拠をすべて出したこと。あちら側は最初、私が決定的な証拠は握ってないと思い強気に出てきていたのですが、たとえ裁判になった場合でも母親側が有利になる真っ当な証拠を準備できていたことは大きかったです。結局裁判に持ち込まれることもなく、夫側が折れました」

時間はかかったものの無事に親権を手にし、次はやっと本題、養育費です。
Aさんは養育費についても諦めずに戦ったといいますが、世の中ではごく少しの養育費しかもらえなかったり、そもそもまったくもらえていない人も多くいます。
Aさんがどのように戦ったのか、そして会社に不貞をばらさなかった理由も<3>で語ります。

Aさんのリコカツ年表

2014年・秋/夫の不倫に気づくも、話し合いにより和解。

2015年・春/再び夫の不倫疑惑が浮上。弁護士のアドバイスにより証拠集めを開始。その後、不倫が確定。離婚を決意するとともに、娘の日本の幼稚園受験の準備を開始。

2015年・秋/娘の幼稚園受験、合格

2016年・春/娘、幼稚園へ入園。日本へ帰国し、夫と別居を開始。夫へ不倫の事実を知っていること、離婚を考えていることを初めて伝える。日本で仕事を開始し自活の道へ。

2017年・春/夫へ離婚届を渡す。

2017年・夏秋/不貞相手への慰謝料請求を依頼。慰謝料300万円を受け取る。

2018年・春/娘、小学校へ進学。

2018年・秋/離婚合意書を夫へ渡す。そのまま親権交渉へ。

2020年・春/養育費交渉などを経て、離婚成立

※第2回は太字部分のお話

離婚までの覚えておきたいまとめ

・夫を責める前にまず証拠集め
・証拠を集める際は、専用のメールアドレスを作っておくと便利
・集まった証拠は時系列でまとめておく
・夫と話し合う時はボイスレコーダーを回す
・相性の合う弁護士を選ぶこと
・慰謝料の相場は最大で300万円
・養育費は子どもの成長にあわせて再協議が繰り返される

あわせて読みたい

▶︎【VERY妻の「リコカツ」体験談①】私が離婚を決意した理由

▶︎【VERY妻の「リコカツ」体験談③】養育費は絶対に諦めてほしくない

 

 

取材・文/有馬美穂

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