出産した瞬間から「ママ」の肩書を授けられるのに、なかなか自分の気持ちがそれについていかない…。そんなギャップを感じている人は意外と多いようです。「ママ」になるってどういうこと?有識者の見解を聞きました。
産婦人科医・
医学博士・性科学者
宋 美玄さん
“最良の母=まあまあの母親”!
完璧じゃなくたって
いつか母になった実感は
必ず訪れる
「母になる」、その言葉の重みに押しつぶされそうになったことのない方はいないのではないでしょうか。
子どもを産んだら自然と頭から「母性」なるものが湧いてきて、細切れにしか眠れない日々も子育ての喜びで満たされる、それが優れた女性。そんなイメージが世の母親たちを苦しめてきました。しかし、医学的な見地からは「母親だって人間」に尽きます。出産で体は傷つき、妊娠中に大量に出ていた女性ホルモンは激減、それに伴いメンタルも不安定になる。母乳は、出産直後の一番しんどいときに頻繁に吸わせないと出るようにならない仕組みになっている。そんなこと、産むまで誰も教えてくれなかったですよね。
最近ようやく産後うつの存在や、それが子どもを可愛いと思う気持ちに影響することなどが知られるようになってきました。
「良い母親にならなくては」という真面目な人、「良い母親と思われたい」と周囲の評価を気にする人は特に追い詰められやすい傾向にありますが、イギリスの小児精神科医ドナルド・ウィニコットは「最良の母親は、まあまあの母親である」との名言を残しています。完璧な親より、抜けたところや失敗するところを子どもに見せるほうが子どももホッとするというものではないでしょうか。一人で背負い込まず父親としっかり分担し、「母親」以外の自分の顔も大切にして、気楽に育児してくださいね。いつか「私もお母さんになったなあ」と思える日は必ず来ますので。
◉宋 美玄さん
産婦人科医・医学博士・性科学者
2児の子育てと産婦人科医を両立しながら、各メディアで情報発信を行う。主な著書に、ベストセラーとなった『産婦人科医宋美玄先生が 娘に伝えたい性の話』(小学館)
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感性アナリスト・随筆家
黒川伊保子さん
夫に腹が立ったら母になった証拠
他人の理想より、自分なりに
物理面・精神面両方で
子どもと向き合って
母性とは子どもを無事に育て上げるために備えられた本能。自分の子どもをとことん依怙贔屓(えこひいき)して、自らの資源(時間、意識、手間)のすべてを子どもに捧げようとするあまり、夫に資源を捧げる気持ちが限りなくゼロになり、むしろ夫の資源をも独占しようとする―。出産後、夫が無神経で気が利かないとむかっ腹が立ったら、それは立派に母になった証拠です。
依怙贔屓を作り出すのは、「愛しい」気持ちを生み出すオキシトシンというホルモン。特に授乳中(ミルクでも)に子どもを見つめているときに多く分泌されると言われています。また子どものほうも、その際母親とアイコンタクトをとったり、笑いかけられたり話しかけられることで、コミュニケーションの基礎を脳に築きます。昨今スマホ授乳などでそっぽを向き合う母子も多く、母親の愛着心不足や子どものコミュニケーション能力の低下が心配されています。もし母としての自分や、子どもとの絆に不安を感じるのなら、この傾向を見直してみては。
既に授乳期を過ぎているのなら心の対話を。「保育園どう?」「宿題やった?」のような問題解決型の対話ではなく、「今日ママね、こんなことがあって悲しかったんだ」と自分のことを話したり、「あなたはどう思う?」と意見を聞いたり、「カレーの味、見てくれる?」と頼りにする対話です。
母になるということは、他人の理想を目指すわけじゃない。自分が子どもと物理的に、精神的に、どれだけ向き合えるかだと思います。
◉黒川伊保子さん
感性アナリスト・随筆家
株式会社感性リサーチ代表取締役社長。人工知能エンジニアを経て、多くの商品名の感性分析に貢献。さらにコミュニケーション・サイエンスの新領域を拓く。著書『妻のトリセツ』『夫のトリセツ』(ともに講談社)がヒット中。
作家・コラムニスト
LiLyさん
“母”は一つの引出しに過ぎない!
時間をかけて自分の中の
〝女〞と〝ママ〞のバランスが
摑めれば、それでいい
個人差があると思いますが、実は私自身は出産した次の瞬間には、自分以上の大きな力(本能?)に、それ以前の「自分(女)」が丸ごと呑み込まれるようにして、子どもに夢中な「100%母」(というより、出産後の動物のメス?)になってしまったように感じました。
ですが、第二子出産から2、3年が経ったら、今度はそれまで完全に消えていた出産前の「自分(女)」も戻ってきた! 勝手に戻ってきてしまった!
これ、どちらも自分でどうこうできるものではなく、ホルモンによる変化によるところが大きい。なので、自分の変化に誰より自分自身がとても戸惑いました。
初産から10年経った今は、自分の中に「母」という大きな引出しが一つ増えたという実感。「女」という引出しもあって、それらが自分の中に共存するバランスをやっと摑めてきたと思っています。
何が言いたいかというと、「母」とは100%でなるものではなく、自分の中にいくつかある引出しの中の一つなんじゃないかと。そしてその「母」という「引出し」の大きさも、個人や子どもの年齢によって自然と変わってくるもので、極端な話、子どもが成人しているのにまだ自分が「100%の母」ではそれもまたバランスが最悪なわけです。
臨機応変に、子どもの成長過程で母も自分のペースで変化してゆければ、「互いに丁度よいのだ!」と気楽に思うようにしています。
◉LiLyさん
作家・コラムニスト
2児の母。最新刊は赤裸々に綴った『SEX』(幻冬舎)。現在VERYwebにて性教育エッセイ・ノベル『Girl Talk with LiLy』他、「Numero Tokyo」や「小説幻冬」などで連載中。「フリースタイルダンジョン」(テレビ朝日)にも出演。
◉ Girl Talk with LiLy
第10話「ピザ屋の彼女になってみたい」Byスズ
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●「産後うつ」6つのキーワード!気分が重い……はその兆候かも?
撮影/清藤直樹 取材・文/矢﨑 彩 編集/引田沙羅
*VERY2020年5月号「産んだその日から母性がスパークするなんて、幻想!私がママになれたあの瞬間。」より。
*掲載中の情報は誌面掲載時のものです。