ひとつとして同じ話はない「出産エピソード」。チームVERYのリアルな出産体験記を追う連載の2回目は、港区の愛育病院で女の子を出産したライター・増田奈津子さんのお話です。無痛分娩を希望していた彼女でしたが…⁉︎
ワンオぺになりそうだった我が家。無痛分娩を希望しました
初めての妊娠が分かって、まず産院選びの条件にしたのが「無痛分娩ができる」「NICUがある」こと。
NICUがある場所を、と思ったのは、初産だったこともあり、万が一のことがあっても対応できる産院がいいなと思ったからです。無痛分娩を希望したのは、母が他界しており頼れないことや、夫が転職したてで育休を取れる雰囲気ではなく、産後は即ワンオペになる予定だったので、少しでも体力を温存したかったから。安全に産めるなら、できれば陣痛の痛みは経験したくないなと思ったこともあり、いくつかの病院を検討し、友人のお見舞いでなじみもあった愛育病院に決めました。
しかも妊娠中、子育てを見据えて決めた新居が、たまたま愛育病院の近所でした。臨月で、徒歩10分の距離に引っ越しました。結果的に、この病院でよかったと実感することに…。
予定日の10日前に陣痛が!
予定日は3月下旬。妊娠してから毎日YouTubeでマタニティヨガをしたり、正産期に入ってからは雑巾掛けをしたり、できるだけ安産になるように体を動かしていました。雑誌『JJ』の担当記事の最終チェックを終えたのは3月上旬と直前まで働いていたこともあり、臨月でも運動不足は感じていませんでした。雪の中ロケしたり、今思えば無茶もしていたかも(苦笑)。
そして我が家で餃子パーティを開くことになっていた予定日10日前の朝、陣痛らしき痛みが! 私も半信半疑でしたが、おしるしもあったため病院に連絡。
夫は「まだでしょ」と高をくくってサッカー観戦に夢中で、「急にパーティの予定を変更するのは悪いから、友達には来てもらったら?」とびっくりするくらい呑気(で、ちょっとイラッ・笑)。私は直感で「いや、大丈夫じゃない」と思い、別の友人宅での開催に変更してもらいました。
16時頃、陣痛が20分間隔になってきて病院に再び連絡。お産を進ませるためお風呂に入るよう指示を受けてお風呂に入ったり、夫婦で慌てて名付け本を読んだり(笑)、バタバタと過ごしました。
18時頃、いよいよ10分を切ってきたのでまた病院に連絡。初産ということもあり、「おそらく生まれるのは明日の朝くらいだから、21時くらいまで家でリラックスして過ごしたほうがいい」と言われました。
でも、もうその時点で耐えかねるくらい痛くて、本能的に「これはやばい」と思ったんです。
亡き母が行きなさいと教えてくれたのかも
あとはスピリチュアルな話ですが、亡き母が使っていた目覚まし時計が18時頃に急に鳴り出したんです。それまで一度も鳴ったこともなければ、随分長いこと触ってすらいなかったのに。それもあり、これは行ったほうがいいと思ったんですよね。
病院に「やっぱり行きます」と連絡して、陣痛の合間に這うように家を出て、陣痛タクシーに乗りました。もう陣痛は7〜8分間隔くらいになっていて、キャーキャー叫びながら移動。マンション内ですれ違う人も「!?」っていう感じだったのを覚えています(笑)。
幸い近所なためすぐ病院についたのですが「朝までかかると思いますよ」と助産師さんたちにまたしても言われ、さらにお産が進むようにとLDRの近くにあったお風呂に入ることになりました。
麻酔も、8割くらい我慢してから入れたほうがお産がスムーズだからと言われたのですが、どの辺が8割なのか見当もつかず、とりあえず身悶えながら半身浴…。
浴槽で1人激痛に耐えていると、お腹の中で赤ちゃんがうごめきながらグイグイ下に旋回してくるのが分かるんです。それまでの胎動と全然違って、赤ちゃんの意思を感じるというか、「この子、生まれる気満々…!」と思いました。
<マタニティコーデ>
お風呂場で産んじゃう!? 無痛分娩のはずが…
とりあえずそのまま本気で耐えられるところまで耐えてしまい、「これ以上はもう出ちゃう」「8割どころか10割じゃない!?」と焦り、何度か非常ボタンを押したものの、お産が重なっていたらしくなかなか助産師さんが来ません。
このままでは浴槽で水中出産になっちゃう…と、湯船からなんとか自力で這い上がって再度非常ボタンを押したところでバシャっと破水。
破水したとたん、子宮で浮いていた赤ちゃんがさらにずしっと下がった感覚があり、いよいよこれは出る!と思いました。
そして焦りと痛みで吐いたところで、助産師さんが登場…!
担がれながら「麻酔お願いします!」と懇願するも、「頭出てる、もう生まれるから!」とあえなく断られ、そのまま分娩台に。確かにもう、股に何かある感じが自分でもわかりました。
そのとき夫はといえば、夕食にとローストビーフ丼を呑気に食べている最中(笑)。「え、もう生まれるの!?」となり、分娩室へ一緒に移動。
痛みのあまり産まれた瞬間も気づかなくて……
私は痛みのあまりずっと叫び続けていて、助産師さんの指示も聞こえない状態になっていたのですが、夫が耳元で「今から◯◯するって!」と指示を叫んで教えてくれてました。
夫はパニックになっていた私の頭のそばに立ち、両手を握って励まし続けてくれました。夫の顔がずっと見えていたので、錯乱しつつも安心できた記憶があって、“この手を離されたら死ぬ!”という気分だったのを覚えています。
最後はとにかく、赤ちゃんと一緒に自分の内臓が出ていくような感覚になってすごく怖くて、ひたすら「怖い!怖い!」と叫んでいた気がします。「腸が出てないですか!?」と確認していたそうです。
そして病院に着いてから3時間後の21時頃、無事に誕生! …したのですが、その瞬間にもパニックだった私は気づかず。夫に「終わったよ、終わったよ!」と言われて、赤ちゃんの泣き声に気づきました。
夫は号泣、私は「こんな小さくて大丈夫!?」
生まれた直後、早速カンガルーケアをさせてもらいました。夫は号泣。一方私はといえば、2300g台で生まれた我が子の想像以上の小ささに、かわいい!というよりも先に心配になってしまって。でも小さかったから&短時間だったからなのか、会陰は切れず、縫うこともなかったです。
あとは、とにかく夫にそっくり!と思ったのを覚えています(笑)。
無痛分娩はできなかったけれど結果的に3時間という安産で、次の日にはすごく元気になり「今すぐ原宿にパンケーキ食べに行けるレベル」と言って友達に驚かれました(笑)。8ヶ月くらいから続いていた後期づわりも産んだ瞬間からなくなり気分もスッキリ。産後のワンオペに備えて、体力回復のため産後院に入るつもりで色々調べていたのですが、このまま家に帰っても大丈夫と思えました。産後院の費用に加え、無痛分娩の費用20万円もかからなかったので、結果オーライですね(笑)。
母乳育児を軌道に乗せてもらえました
愛育病院は基本母子同室です。出産直後は赤ちゃんの泣き声に気づかず寝続けてしまい、「赤ちゃん泣いてますよ」と何度も助産師さんに起こしてもらいました。
個室に入院していたのですが、3時間おきに授乳室に行き、時間や量、あげ方なども細かくチェックしてもらいました。おっぱいが固くなって辛かったときも「出るおっぱいに変わる証拠だから」と励まされて。小さく生まれたことを心配だったのですが「本当に小さくてかわいいね」「飲むのが上手だからすぐ大きくなりますよ」と安心させてくれました。
愛育病院は赤ちゃんを第一に考えている印象です。母子同室で、母乳指導もスパルタだけれど、おかげで退院後も授乳は安定しましたし、本当に疲れていた時は「預かるので寝ていてくださいね」と言ってもらえたりもして、いい病院だったなあと満足しています。食事も美味しかったですし、個室もホテルのようで安らげて、お祝いに来てくれた家族や友人たちとも、ゆっくりと話せました。
ちなみに、お祝いの時にパジャマでいるのは嫌だなと思い、昼はマキシワンピースにメディキュットを仕込み、夜だけパジャマを着ていました。どちらも楽天で見つけたchocoaのものです。
ちなみに病室で役立ったのは、エスメラルダの授乳クッション。普通より大きめで安定感があり、抱き枕にもなりました。
5ヶ月で復帰。娘は認可外のプリスクールに
その後、区の一時保育に頼りながら、5ヶ月で仕事復帰。フリーランスということもあり、産後も仕事の居場所があるのかな? 仕事はできるんだろうか? ワンオペで大丈夫? という漠然とした不安でモヤモヤしていたのを覚えています。
ちょうどその頃『JJ』でよく仕事していた編集者が『VERY』に移り、私も出産したしということで『VERY』にも参加するようになりました。
今は1歳から通っている認可外のプリスクールに引き続き預けながら、昔はまったくと言っていいほど交流がなかった義母にもかなり助けてもらい、仕事を続けられています。
これから出産を控えているプレママさんたちに言いたいことは、自分の直感を信じて!ということ(笑)。あと、何が起きるか分からないので、産院はできるだけ近い方がいいと思います…!
もし次に産むことがあるなら、また愛育病院がいいですね。助産師さんたちには、私は安産体質で、2人目は初産よりさらに早く生まれるかもしれないから、計画出産にするようにと助言されています。次こそは無痛分娩か、本当の水中出産もいいなぁと思っているところです(笑)。
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*2018年当時のお話です。
取材・文/有馬美穂