【犬山紙子 緊急連載 】
コロナ禍中日記 3歳児とともに Vol.14
6月2日 保育園へ
6月に入り私も夫も外で仕事する日が増え、とりあえず週2くらいで娘が保育園に通い始めました。
自粛期間中も「保育園行きたいな」「●●ちゃんに会いたい」などと言っていたけれど、実際に行くとなるとどうせ泣いて嫌がるのでは……とヒヤヒヤしていたら、とても嬉しそうに登園したのです。それだけ保育園での毎日が楽しかったんでしょう。それはどれだけ幸せなことか。そういえば「どうぶつの森」でお気に入りのキャラクターに保育園の先生の名前をつけていたっけ。
嬉しそうに出かける娘を見ながら、コロナ以前自分にずっしりとのしかかっていた罪悪感を思い出しました。お迎えが遅くなってしまった時はもちろん、毎朝保育園へ送り出す時に「楽しんでおいで!」9割、「ごめんね」1割、そしてそれの蓄積。
「保育園に預けることが子どもの発育に悪いなんてことはないし、保育士さんたちはプロだし、私が自分の人生を送るのも大切だ」ってことは頭で理解している。でもどうして親ってやつは自分を責めてしまうんでしょうね。娘が3歳になっても心はまだ少し追いつかない。
そして今回、この罪悪感の正体が少しわかったような気がするんです。これは多分「私が娘と離れるのが寂しいという気持ちを『娘が寂しがっている』にすり替えていたんじゃないか」ということ。もちろん「保育園行きたくない!」とゴネる日もあるし、その時はその泣き顔による正真正銘の罪悪感が湧くのですが、そうじゃない部分で積み重なった罪悪感はきっと自分でも気がついていなかった「私が寂しい」だったんだなと思うのです。
6月から徐々に保育園に復活させる、とわかった日から妙に寂しくなりました。仕事や家事に追われている時は「保育園がないのキッツイ!」と思いながらも、寝かしつけた後しんみりと「この愛おしい日々ももうすぐで終わるのかな」とじわじわしてしまう。忙しくなるとそういう自分の気持ちを自分でヒアリングする暇もなくなるし、麻痺もしてしまうから気がついてなかったけれど、そういうことなんですね。いやあ、子ども産んでからバッタバタでちっともわからなかった。
娘も徐々に親以外とつながりを持ち、娘の社会が形成されていく。それは彼女にとって素晴らしいことで、生きる歓びに直結するもの。でも、子の幸せを願いながらも少しずつ自分以外の世界と作り上げる姿に少し寂しさを感じてしまうものなんですね。
この寂しさを暴走させるのは問題だけど、夫と二人「ちょっと寂しいね」なんて言って梅酒をぐびっとやるくらいは許して欲しい。ちょっと寂しいけど、でも娘が外の世界を楽しいと感じていることの喜びが、こんなにも私の毎日を照らすとも気がつかなかった。
さて保育園もスタートしたのでこの緊急連載はここで一旦終わりです。
私のなんてことない日々を読んでくださった方々、ありがとうございました!
まだまだ大変な日々が続きますし、コロナの不安は隣にあるけれど、これを読んでくれた皆さまと一緒に生き伸びてやろうぜ、って気持ちです。
———ご主人と3歳の娘さんとの「おこもり」な日常、子育てや仕事の悩み、みんなにシェアしたいことを「ほぼ(隔)日」でアップしてきた連載も今回が最終回!
ちょっと寂しい……。
◉犬山紙子
エッセイスト。1981年、大阪府生まれ。14年、ベーシストの劔樹人氏と結婚。17年、女児誕生。著書多数。『スッキリ』等、テレビのコメンテーターとしても活躍中。最新刊は『すべての夫婦には問題があり、すべての問題には解決策がある』(扶桑社新書)
写真・イラスト・文/犬山紙子 編集/フォレスト・ガンプJr.