長男の先天性四肢欠損症という障がいをきっかけに、工夫次第でどんな困難も乗り越えられるという諦めない心と周囲のサポートの有り難みを知ったという美馬アンナさん。障がいをひとつの個性と捉え、多くの挑戦をさせたいと語る家族のストーリーです。
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[家族のコトバ]
あるスポーツ番組を観ていた時に、ゲスト出演していた夫を見かけ、その穏やかで温かい笑顔に好印象を持ちました。その後共通の知人を通して知り合うこととなり、すぐにお付き合いが始まりました。愛情たっぷりな人柄に惹かれ、結婚するならこの人だと、お付き合いして1年も経たないうちに確信。 2013年に夫の所属球団が日本シリーズで優勝、さらに自身の舞台出演など仕事も落ち着いた良いタイミングで結婚。投手というポジション上、故障もどうしても多かったので、夫のそばで支えたいと仙台へ行くことを決意しました。ただ、初めて生まれ育った場所、そして実家を離れ、友達も知り合いもほぼ皆無の場所での暮らしは、思った以上に寂しいものがありました。 結婚した当初から、夫を父親にしてあげたいと思っていました。パパになるべくして生まれてきたような温かい人。それでもなかなか赤ちゃんに恵まれない日々でしたが、自宅近くの通いやすいクリニックで緩く始めた不妊治療が功を奏し、念願の第一子を授かったのです。
息子のコトバ
最近、自分のおててを好きになってきた。みんなが愛してくれているから
公園で元気に走り回るのが大好きなRITAくん。体の成長とともに心もしっかりと育まれています。
結婚してから7年目に念願の第一子を出産しました
妊娠期間も初期のつわり以外は特に問題なく過ごし、妊娠7カ月に任意で行った精密検査でも気になる点はなく、臨月を迎えることができました。出産時には夫も立ち会い、30時間の自然分娩。ようやく我が子を初めて目にした時に飛び込んできたのは、手首から先がない姿でした。「え?何が起こったの?」と呆然。夫もすぐに気づいたそうですが、私を気遣ってコトバにすることはありませんでした。生まれたばかりの息子は肺呼吸がうまくいかなかったようで、出産からそのまますぐに大きな病院へ搬送されました。そしてその後、医師から「先天性四肢欠損症」であることを告げられたのです。 医学的に解明されていない点が多くある四肢欠損症。私自身、告げられた時には「なにそれ?」と思い、先天性というコトバすらすんなり入ってきませんでした。なぜ?という気持ちを鎮めることは全くできませんでした。今でも「なんでだったの?」と思うこともあります。お腹の中で起きていることは誰にもわからず、医師もエコーでしか診ることができないため、本当の理由がわからない、恐らくこういった理由だろうと言われたこともありますが、それも絶対ではないと医師から説明を受けました。
夫がかけてくれたコトバで光が見えてきました
毎日、病院で泣いて過ごしていた私に夫は「お腹の中で分かっていたとしても、俺は産んでほしいと頼んでいたし、この子にパパとママの間にうまれてきてよかったと思ってもらえる位、幸せにしてあげられる自信があるよ。俺はこの子がよかったんだよ」と言ってくれました。このコトバを聞いて、この人とだったらこの子を育てていけると心から思いました。また、夫から「FAという機会を頂いたから球団移籍をする」と聞きました。遠征やキャンプなど野球選手は自宅を留守にすることが多いため、私を慮ってくれた言葉でした。所属していた球団も状況を理解してくださり、移籍先の千葉ロッテマリーンズも温かく迎え入れてくれたので、一家で関東へ。両親の手も借りながらの子育てが始まりました。
友人のコトバ
皆が羨むもの全部持ってる=幸せでは絶対にないと思う
まだ出産経験のない学生時代の友人だからこそ本人目線のコトバをくれました。いつも的確なコメントをもらえます。
周囲の人たちに支えられ前向きに子育てスタート
出産2日後に、学生時代に仲が良かったグループメンバーに状況を説明するLINEを送りました。それぞれが思いやりのあるコトバ、勇気が出るコトバ、感動するコトバをくれる中、最もその時の私に刺さったのが「私は五体満足でうまれたからとか、女にうまれたからとかいう理由で幸せなんじゃなくて、両親を筆頭に周りの人達に恵まれ、ハートフルな人生を送れているから幸せだと感じる」というコトバでした。もし自分が当事者だったら…と想像してかけてくれたものだったそうです。みんなそれぞれが生きにくさを感じているもの。体の障がいだけが障がいではないのではないか?さらに、「皆が羨むものを全部持っている=幸せでは絶対ないと思う」というコトバもありました。その画面は今でも携帯電話に保存してあり、今でも辛くなった時に読み返しています。また、公園で遊んでいる時に「可哀想に、苦労するわね」と言われたり、あるいは同年代の子どもから容赦ないコトバを投げかけられることもあり、私が潰されそうになることもあります。そういった事柄を母にこぼした時に、「冷たい目線や愛のない言葉でRITA(長男)のこれから感じる悲しい気持ちや寂しい気持ちに比べたら、アンちゃんの悩みなんてへでもない」と言われたのです。ハッとしました。私が弱音を吐いている場合ではない。その通りだと。息子が同じような思いをした時、私が支え、もっと強くならないとダメだと思いました。
母のコトバ
RITAがこれから感じるかもしれない苦しい気持ちや寂しい気持ちに比べたらアンちゃんの悩みなんてへでもない!
常に寄り添い子ども達の面倒も積極的に見てくれる両親には感謝しかありません。
同じ思いをするかもというトラウマを乗り越え第二子を出産
「RITAが赤ちゃんを欲しがっているみたい」。ある時に夫から伝えられました。夫とは2人目の話をしていなかったんです。思い出になっていたはずなのに、毎日泣いていた産後の自分の姿が心の奥底でトラウマとして残っていました。夫からこの話題に触れてくれたということは、夫にはすでに2人目の準備ができているんだから、私も不安に思うのはやめようと決心。夫と同じ優しさを持っている息子をお兄ちゃんにしてあげたいと。そして2023年、とっても活発でお兄ちゃんを翻弄するぐらい強く、可愛い長女が生まれました。赤ちゃん返りすることもあるとよく聞きますが、息子は全くその様子も見せず、お手伝いも積極的にしてくれ、また、妹の面倒も見てくれる頼りになるお兄ちゃんぶりを発揮しています。



周囲からの愛情を感じ障がいを肯定的に捉えるように
最近の息子の成長ぶりには目を見張るものがあります。「ママ、最近、自分のおててを好きになってきた。みんなが愛してくれているから」。つい最近、息子が言ったコトバです。今までも人と違うことに気づき不安な気持ちになった息子から「ママ、僕のおてて好き?」と聞いてくることがありました。その度に大好きであることを伝えています。毎日いかに愛しているかを夫婦で子どもに伝えるようにしているのですが、“愛してくれている”からというコトバが出たことは私達の想いが通じていると感じたとともに、まだ幼いにも関わらず、自分自身を肯定的に考え受け止めることができるようになっているのが本当に嬉しかったです。 またある時、ストライダーに乗せてみようとしたところ、右手首から先がないためハンドルを持てずバランスをとることが難しく、上手に乗れませんでした。途端に興味を失ってしまった息子でしたが、それを言い訳に諦めるようなことはさせたくなかったんです。そこで手がうまく固定されるようストライダーを改良したところ、見事に乗りこなせました。嬉しそうな息子を見て感動。工夫は必要だけれど「右手のせい」でできないなんてことは何もない。息子の心にも諦めない心が芽生えた瞬間だったと思います。 今息子はさまざまな国や文化の子ども達がいるインターナショナルスクールに通っています。周りと違うことに対して劣等感を感じることなく、お互いの違いを認め、受け入れ、寄り添うことのできる人間になってほしいです。今後は、息子と相談しながら私達ができることを発信していきたいと思っています。夢は夫が野球に携わっている間に、同じ境遇の子ども達を集めて野球教室をやること。そして、息子自身や私達家族の経験が多くの方に勇気や希望を与え、前に進むキッカケを与えることができたらと思っています。
美馬さんのHistory
アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれ、神奈川県で育つ。
5歳頃。長男の現在とそっくり!9歳で芸能活動開始。ミュージカル「アニー」でダフィー役を演じる。
ラテンパーカッションバンドで活動後、ソロ活動も開始。タレント・女優としてもさまざまなCM、ドラマ等で活躍。
堀越学園から芸能活動をしている人がほとんどいない法政大学キャリアデザイン学部へ進学。多くの友人に恵まれる。その後、タレント活動をしていた時に共通の知人の紹介で夫と知り合い、交際スタート。
お付き合いして3年ほどで結婚。夫の所属球団がある仙台へ。
2019年念願の第一子を出産。30時間に及ぶ出産時間を乗り越えて初めての家族写真。
Profile
美馬アンナ(みま あんな)さん
女優、タレント。1987年生まれ、神奈川県出身。子役として活動を開始し、ラテンパーカッションバンド、ミュージカル、舞台、CMなどで活躍。2014年に野球選手の美馬 学さん(現在千葉ロッテマリーンズ所属)と結婚。2019年長男、RITAくん、2023年長女を出産。インスタグラム(@mima_79_anna)では幸せいっぱいの家族の姿も発信中。
撮影/吉澤健太 取材・文/金沢由紀子 編集/本間万里子 衣装提供/エンモカ(https://enmoca.jp)撮影協力/wine bar quintet(winebar-quintet.com)
*VERY2025年6月号「家族のことば〜美馬アンナさん」より。
*掲載中の情報は誌面掲載時のものです。