●登場人物●
キキ:雨川キキ。早くオトナの女になりたいと一心に願う。親友はアミ。大人びたスズに密かに憧れを持ち、第7話でついに初潮が訪れた。同じオトナの女になった喜びから、スズにガーベラをプレゼントした。
スズ:キキのクラスメイト、鈴木さん。大人になりたくない気持ちと、すでに他の子より早く初潮を迎えたことのジレンマに悩む。両親は離婚寸前。家でもどこか疎外感を感じている。
アミ:竹永アミ。キキの親友で、キキと同じく早くオトナになりたい。大好きなキキと一緒にオトナになりたい気持ちから、キキが憧れるスズについ嫉妬してしまう。
リンゴ:保健室の先生。椎名林檎と同じ場所にホクロがあることからキキが命名。3人の少女のよき相談相手。
マミさん:キキの母。ミュージシャン。
「ピザ屋の彼女になってみたい」
by スズ
部屋の照明を落としてベッドの中に入ったけれど、なかなか眠りに落ちることができなくて、ベッドサイドのライトに腕を伸ばす。柔らかなオレンジ色の光が灯った部屋の中、目に入るのは机の上に飾ったピンクのガーベラ。
「素敵なお友達ができたのね。よかった」
お母さんの声を思い出す。目の奥が熱くなる。
雨川さんがお花をプレゼントしてくれたこと、心が飛び跳ねるくらいにビックリした。嬉しかった。でもそれ以上に、友達がいる私にお母さんが安心してくれたことに、自分でも意外なくらいに胸をしめつけられた。
今も、お母さんの目に「友達がいる自分」を映せたことにホッとして、泣きたいくらいの気持ちになる……。
「残念な子」だと、両親に思われている気がずっとしている。理由はある。いくつもある。でも一番はやっぱり、小学校受験に失敗したこと。
第一と第二志望に落ちて、第三志望校には受かったけれど「ここに行くくらいなら公立の方がマシだ」というお父さんの言葉で今の学校に通うことになった。
傷ついて、いるんだと思う。怒られることが怖かった受験勉強にも、両親がよく途中で喧嘩になった面接の練習にも、結果にも、最後のその言葉にも、私はとても。
そして昨日、今年の冬に差し迫っている私の中学受験のために離婚を先延ばしにするという両親の話し声が聞こえた。私は部屋にいたから、両親はそのことを知らないと思っているんだと思う。
なんて言い表していいかわからないくらい、イヤな気持ちになった。お父さんとお母さんが嫌い合っていることの絶望。家族がバラバラになることへの哀しみ。私はどこに行けばいいのか、という不安。いつもだったら涙が止まらなくなる。だけど昨日は、今回こそは小学校受験で落ちた第一志望に絶対に合格しなくてはいけないプレッシャーを更に強く感じたことで、涙なんかはもうでなくって、かわりに息ができなくなった。
もし合格できたら両親は離婚を先延ばしにした流れのまま、もしかしたら考え直してくれるかもしれない。そう思ったら緊張で頭が真っ白になってしまって、今日の塾でも授業に集中できなかった。どんどん息が苦しくなって、塾も学校も家もイヤで、でも他に行きたい場所もないからもう死んでしまいたいような気持ちで、でも仕方なく家に帰ってきたのだ。
——そこに、雨川さんからのプレゼント。
お母さんは昨日、久しぶりに受験の話をしなかった。「お友達ができてよかったね」ってご飯の時にも言っていた。「でも、お誕生日でもないのにどうして?」って不思議がっていた。私にはわかった。初潮を迎えた雨川さんが、先に初潮を迎えていた私にもお祝いをくれたってこと。でもお母さんには言わなかった。
きっと、お母さんにはわからないから。生理がイヤなものであると思っているお母さんには、わからない世界だと思う。今までは私も全く想像していなかった世界が、開いていくような気がしてくるのだ、雨川さんといると。
そんなことを考えながらピンク色のガーベラを見つめていたら、悲しいわけではないのに涙が込み上げてきた。
「泣くのって、きもちいいよね。
キスと、
どっちがきもちいいんだろう。
鈴木さんは、どう思う?」
初めて声をかけられた日に、保健室で雨川さんに聞かれた質問を思い出して、泣きながら笑ってしまう。わかるわけがないのに。こんな私に、そんなオトナっぽいことが、わかるわけがないのに。そんなふうに涙のことを、キスのことを、考えてみたことすら1秒もなかった私に、雨川さんは聞いてくれた。私に、聞いてくれた。
嬉しかった。
どうしよう、その時の気持ちを初めて心の中で言葉にしたら、涙がポロポロ溢れて止まらなくなる。両手で顔をおおって、部屋の外には決して泣き声がもれないように気をつけながら、私は泣いた。泣いた。どこまでも泣いた。
きもちよかった。
*
「昨日は、どうもありがとう」
授業の間の中休みに教室内で、雨川さんに話しかけるには勇気が必要だったけれど、お礼を言うのはマナーだと自分に言い聞かせて頑張った。
「あ! 花言葉、調べた?」
そんな私の気持ちには全く気づかない様子の雨川さんは、ケロッと笑顔で振り向いて私に聞く。「え、あ、ごめん。調べてない」ってとっさに謝った私に、「アハハ! 実は私もまだなの」と歯を見せて笑う。雨川さん持ち前の気楽さに緊張が解けて、花のお礼に渡したいものがあることを伝えようとしたら、
——「キキ!」
廊下から教室に入ってきたところだった竹永さんが、雨川さんをそう呼んだ。
「キキ」。私はまだ絶対に呼べない、雨川さんの可愛いニックネーム。竹永さんが私のことを良く思っていないことは知っているから、ほとんど反射的に逃げるように自分の席へと戻ろうとした——ら、腕を雨川さんにギュッと掴まれた。
「アミー! 鈴木さん! スズって呼んでる。ちょっと今度ゆっくり三人であそぼう!」
まだ廊下の方に立っている竹永さんに、雨川さんが私を紹介するようにそう叫んだのだ。すると、
「オッケー! 鈴木さん、この前はごめんね!! 私もスズって呼んでもいいー??」
1秒も間を空けずに、竹永さんが私の方を見ながら笑顔で叫び返す。
一瞬の出来事だった。私はドキドキしすぎて、頭が真っ白になってしまって、その場に立ち尽くしたまま小さく頷くのが精一杯だった。
*
「——ピザ屋の彼女になってみたい」
私はこの歌詞がとっても気になって、インパクトが大きすぎて気になってしまって、結果的にはすっかりそこが気に入っちゃったのって、私はキキちゃんがオススメしてくれた椎名林檎の「丸の内サディスティック」の感想を話している。
「うわぁー私もそこ! そこが一番気になる。好きっていうか、気になるっていうのわかる!」って、向かいに座るアミちゃんが共感してくれる。
「わぁ、ずいぶん昔の曲をよく知っているのね」って、リンゴちゃんが感心したように頷いている。その真ん中でキキちゃんが、「大ファンだもの。てか、だから先生のこともリンゴって呼んでるんじゃない」って歯を見せて笑っている。
ここは放課後の保健室。たった1ヶ月で世界がかわった。
学校の中にも、家の中にも、自分の居場所を見つけられなかった私に、とつぜん、神様からのプレゼントみたいに友達ができた。すっごいイヤなことばかりが連続で起きても、生きてさえいれば、すっごいイイこともいきなり起きる。そういうふうに世界はできているって、誰に聞いたわけでもなくて、私は生まれて初めて自分を通して感じてる。
<つづく>