■伊藤詩織さん(ジャーナリスト)
小説の中で たくさんの「私たち」 に出会いました
本のカバーイラストで、女性の顔の部分に描かれている風景が気になっていました。以前、性暴力を受けた際の心理カウンセリングで私が描いた木の絵とすごく似ているんです。その木の様子は「幹が太くて、もともとはバイタリティがあるのに今はそれが低迷している状態」をあらわしているとか。この本は、韓国でも、多くの読者の支持を集める一方で、感想を書いたアイドルのTwitterが炎上したそうですね。それがこの本を取り巻く問題のすべてをあらわしている気がします。
小説の中でたくさんの私たちに出会い、時々胸が詰まる思いでした。就職活動中、憧れの一流企業にいる母校のOBは男性ばかりで、女性はほとんどいないと気が付くところ。私も自分の憧れの職業では、なかなか女性のロールモデルが見つかりませんでした。これからは私たちがどんどん様々なことに挑戦することによって誰かのロールモデルになり、エンパワーできることがあると思います。また面接で「セクハラにあったらどうしますか?」という質問をされるシーン。これは現在、日本で就職活動する女性もいまだに聞かれるとききます。このような質問自体がセクハラになるのはいうまでもなく、男性に対して「君の財布が盗まれたら?」なんて質問しないですよね。あったとしたらほとんどの最終的な答えは「警察に行く」になるでしょう。昨年も麻生財務相が官僚のセクハラ問題に対して、「セクハラ罪という罪はない」と発言して物議をかもしました。聞いてあきれるトンデモ発言なのですが、確かにその通り、セクハラに対してのきちんとした法整備がない限り、自分に全く非がないのに判断や答えが個人に求められるという、そしてその反応次第で職を得るのか失うのかに関わるなんて不条理なんだろうと思います。私は89年生まれ。平成がはじまる年に生まれ、今年で30歳になります。89年にはセクハラに関するはじめての裁判が あり、この言葉が流行語大賞にもなりました。あれから30年で何が変わったのか。大きな一歩はこのような話をできるようになったこと、聞いてもらえるようになったことだと思います。
先週までアフリカのシエラレオネで取材をしていました。この国では慣習として女性器切除(割礼)が現在も行われています。良き妻、女性として社会に認められるための儀式として「伝統なんだから」という考えの人も多いのですが、医学的な必要性は全くなく、最近も10歳の女の子が切除がもとで亡くなる事故が起きました。単に是非を問うだけでは なく、どうしたら「これが当たり前」と考える人にもこの話題について考えてもらえるのか苦心しています。日本や韓国でも伝統だからなどと言われ疑問を感じても、個人ではどうにもならない法律や慣習は多いでしょう。この小説はフィクションですが作者や周囲の人の人生が反映されていると思うので、アプローチとして興味深いです。韓国の、特に女性問題に関しての今までの動きを見ていると、非常に団結力がある印象。日本もイメージ的には手をたずさえるのが得意なような気がするけれど、女性が道に出てストライキをするようなことはまずないですよね。
私も、性暴力被害を告発してから、「勇気がありますね」とか「闘ってくれてありがとう」と言われることがあるけれど、一人では何もできませんし、矢面で戦いたい訳でもありません。 そのイメージは人を孤立させてしまいます。自分の国のこととなると声を届けるのは非常に難しいけれど、どう手をつなぎ、発信していくか模索しています。この本を読んで自分に重 なる部分が多いと感じる方は多いでしょう。どのシーンで感情的になったかを見つめてみると、自分が今まで蓋をしてきた苦しみの原因が何なのかを知るきっかけになると思います。


取材・文/髙田翔子(82年生まれ!) 取材・文・編集/フォレスト・ガンプJr.
*VERY2019年5月号「韓国で100万部突破!映画化も決定!『82年生まれ、キム・ジヨン』が 私たちに問いかけるもの。」より。 *掲載中の情報は、誌面掲載時のものです。









