VERY10月号に掲載されている、栗原友さんインタビュー「私ががんになった時、娘は4歳だった」。今年5月乳がんによる両胸切除を公表した料理家の栗原友さんを取材したのは、長年の友人でもあるライターの櫻井裕美さん。本誌では栗原さんに寄り添う形の記事になっていますが、VERYウェブでは、櫻井さんの視点を通じて「親友ががんになったら」について記事を書いてもらいました。
前回のマンモグラフィが問題なく
“それなら大丈夫か”と
1年乳がん検診を休んでしまった
友さんから病気を知らされた日のことは、はっきりと覚えている。2019年の6月初旬のこと。彼女は料理家で、私はライター。お互い仕事のスケジュールが流動的ということもあり、遊ぶ予定はいつも突発的に決まる。その日の朝も、久しぶりにゆとりのありそうなスケジュールに、私は友さん親子に会いたくなって「ご飯しようよ」とLINE。残念ながら予定が合わず、いつなら平気?とスケジュールのすり合わせるなかで「実は来月、入院するのよ」と友さん。仕事関係の人たちにまだ公表していないから内緒にしてほしい、と前置きをされたうえで「私、がんになっちゃった」と教えてくれた。
数日後にノンアルコールビールを手土産に、友さんの自宅へ。いつもはお互い子連れで会うけれど、このときは子供を寝かしてからふたりで話そうということになり、夜遅めの時間にお邪魔することになった。彼女ががんに気づいたのは、同年の4月。海外旅行に出かけた際、プールで日焼けオイルを塗っているときに、左胸に指でしっかり触れるほどのしこりを確認。その瞬間「がんだ」と悟ったという。「前年の人間ドッグでマンモグラフィが問題なかったし、費用も安くないから“今年はやらなくてもいいか”と、1年休んでしまったんだ」。ダイニングテーブルの端には書類の山があり「ぜんぶ検査結果の書類だよ」と、その書類を見せてくれながら病状と自身の決断についての話をしてくれた。
検査結果は、乳がんステージⅡ。
悪性度の高いHBOCの結果をうけて
リスクを減らすため、両胸切除を決断
友さんの診断結果は、乳がんのステージⅡ。LINEでやり取りしている段階では、CTでリンパへの転移を確認するとのことで、実はすごく心配しながら会いに行ったのだが、幸いにもリンパへの転移はなかったとのこと。でも、患部の組織をとって行う検査で、乳がんのなかでも再発の可能性が高く、悪性度も高いトリプルネガティブという種類ということが判明。トリプルネガティブの場合、乳癌や卵巣癌を発症しやすい遺伝子変異のあるHBOC である可能性が高いと医師から知らされ、友ちゃんは遺伝子検査も受けたという。HBOCは乳癌の発症リスクは最大で9割、卵巣癌は6割。検査結果は、願いも虚しくHBOC。「がんの見つかった左胸だけでなく、右胸も予防切除することにした」という決断を聞かされた。私だったらどうするだろうと考えると、正直何も意見がなかったわけではない。でも、彼女の話を聞いて、他意なくその決断を賛成、応援することにした。「朝は、まだ4歳。死ぬわけにはいかない。一緒に行きたいところ、私自身がしたいことも山ほどあるのに、闘病を繰り返すのも絶対に嫌。そこに人生を奪われたくないと思った。それにリスクがあるのを知りながら、忘れたふりをして楽しく生活なんてできないよね」。やりたいことを諦めずに、楽しく生きるための彼女らしいポジティブな結論だと思った。7月に行われた手術の結果、予防のために切除した右胸からも癌が発見された。この10月には、新型コロナウィルスの感染状況を見ながらではあるが、卵巣の予防切除の手術も行う予定という。
子どもの心を守るためにも
病気のことは隠さずに
「本当」を伝えて
もし、自分が大きな病気になったら? 子供にどう伝えるか、それはママにとって大きな問題。子供の笑顔が見たくて日々頑張っているのに、自分のことで子供を泣かせたくない……それは、仕方のない母心だと思う。友さんは嘘なく、きちんと事実を娘に伝えた。「病院で紹介してもらったカウンセラーの方に“子供を仲間外れにしちゃいけない”と指導を受けて。変に隠したりすると“私が悪い子だからママが病気になった”と自分を責めてしまうみたい。話をしたのは入院する少し前だったかな。お布団の中で、お互いに起きているけどシーンとするあの瞬間に“ママのおっぱいに悪者がいて、病院の先生に手術で退治してもらうの。だからママは病院に行かなくちゃいけなくて、その間は会えないからお友達のお家で待っててね”と。“ママ、かわいそう”って、大泣きされたよ。そのとき、朝とは約束も交わして“ママの病気のことを話したくなったら、保育園の〇〇先生に話してね”って。これもカウンセラーによるアドバイスで、そのことについて“話してもいい人”を作ってあげると、それが子どものストレスケアに繋がるみたい。あとで保育園の先生に確認したら、ちゃんと約束を守っていて……子供って素直。病気のことは、手術痕も抗がん剤の副作用で苦しんでいる私の姿も見ているから、きちんと理解して受け止めてくれていると思う。むくみや倦怠感が辛いとき“ママ、大丈夫だよ”って、ずっと体をさすってくれたのは嬉しかったな。だから、ごめんね、じゃなく、ありがとうだよね」。
自分も親、親に泣かれるのは辛い。
母には泣く暇を与えないよう
捲し立てるように報告。
入院中、娘の朝ちゃんを1ヶ月ものあいだ預かってくれたのは、同じ年の娘を持つ京都の親友だった。「がんを告知されてすぐ “入院中、朝を預かってくれないかな”と相談したら、即答で“ええで!”と言ってくれた。彼女も仕事をしていて、家のすぐ真裏の保育園に通わせているのだけど、そこに朝も受け入れてもらえることになって。入院前に慌てて京都に行って、保育園の先生と面談して……。1ヶ月離れることはもちろん寂しかったけど、久しぶりに朝と再会したとき、楽しく子供らしく生活させてもらったんだなとすぐわかった。ちょっと関西弁にはなっていたけれど(笑)、それ以外は、変にお利口になったりもせず、いつもと何も変わらない朝だった。本当にありがたかったな」。この話が新聞の記事になったとき“1ヶ月も他人の家に預けて、旦那さんはどうしているのか”という、批判的なコメントがあったという。「私と旦那は共同で会社を経営しているし、旦那は深夜に起きて早朝に出勤するから、朝を面倒見るなら仕事を休むしかない。“私が病気で働けなくなって、旦那まで働けなくなったら家計はどうなるのか。治療費だってかかるのに”と大人気ないけど応戦しちゃって。ごめんなさいって、お返事いただいちゃったのだけど……」。
当時、友さんの父親は末期の肺癌で余命1ヶ月という状態。心許せる友だちを頼るのが、友さん家族にとって一番の選択だった。「父は病気のことを伝えたとき“その声色からすると大丈夫なんだろう?”と、さらりと対応してくれたのがありがたかった。自分も親になったからかな、親に心配をかけるのも、泣かれるのも辛い。そんな状況だったから、母にはギリギリまで病気のことは伝えなかった。手術の2週間前に夕飯を一緒に食べようと約束をして、泣く暇を与えないように捲し立てるように状況を報告したと思う。治療の方針であれこれアドバイスされるのを避けたかったのもあるかな。自分の体のことは自分で決めたかったし、新しい提案を聞いて自分の決断に悩んでしまうのも避けたかった」。友さんの父親は、彼女の退院後間も無くして他界。最期に纏う衣装は、父親のリクエストを聞きながら友さんが準備をした。「お父さんは、お母さんの泣く顔を見るのが辛かったんだと思う。最期にディオールのシャツを着たいとか、お洒落すぎるよね」。
一番きつかったのは
「髪が抜けること」
ベリーショートがとっても似合っている友さんだが、現在は抗がん剤で抜けた髪がやっと生え揃い、ようやくカツラなしで外出できるようになった段階。闘病中、一番辛かったのも、髪の毛の問題だったという。「身体的には抗がん剤の副作用による倦怠感、精神的には髪が抜けることがキツかった」。女性にとって大切な胸を切除し、手術と同時に再建はしたものの、さらに髪まで抜けるとなれば、その心境は同性であれば怖いほどに理解できる。「あるとき仕事もできずに暇すぎて、ネットで抗がん剤と抜け毛のことについて調べちゃって……暇って本当によくない。そしたら抜けるだけじゃなく“髪が生えてこなくなる”という記事を見つけてしまって、病院の先生に“抗がん剤をやめたい”と相談した。先生は色々話を聞いてくれたうえで、頭髪のことを調べている看護師がいるからぜひ会って見て欲しいと。その看護師の方とのやりとりである程度の不安は解消したけれど、それでも先の見えない怖さは残って……。そんなとき、病院の先生を通じて、年齢が同じで子供もいて、がんのステージも種類も、抗がん剤の種類も同じという女性に出会うことができた。彼女が髪の毛が抜けてから、また生えてくるまでの過程の写真を見せてくれたことで、自分が辿る経過をイメージすることができたし、彼女も患者だから私の不安も経験済み。たくさんメールのやり取りをして、抗がん剤治療と再度向き合う勇気をもらえた。ただ、その人すっごい美人で。カツラ姿も何をしてても、結果キレイなのよ。そこは参考にならなかった(笑)。いや、キレイだから希望が持てたのかも知れない」。友さんが治療を一任した病院は、セカンドオピニオンで診てもらった2軒目の病院。医師の名刺にはメールアドレスの記載があり、診察以外でも気軽に疑問や不安を相談できたことも、彼女が病気と前向きに闘う力になった。「治療の方法なんて、調べたころで何か正しいかは私にはわからない。2軒目の病院は、診察室で先生と向き合って話していると、同じ空間にいてなんか居心地が良かった。話していて安心感もあった。だから決めた理由は、直感かな。でも大正解だったと思う」。
私は前向きに、娘が子どもらしく
乗り越えることができたのは
支えてくれた「友だち」のおかげ
友さんが一番恐れていた髪の毛が抜ける時期に被るカツラは、友だちがお金を出し合ってプレゼントしてくれたもの。髪が抜けて外出が嫌いになった時期にも、友だちが家にご飯を食べに来てくれることで気分転換でき、倦怠感で体が動けない休日は、友だちや保育園のママ友たちが朝ちゃんを遊びに連れ出してくれた……というように、彼女の闘病エピソードに“友だち”は欠かせない。ここまでのエピソードを聞くと“人徳よね”と話を片付けられがちだが「人徳でもなんでもない、私が助けてとお願いしているだけ」と、友さん。「保育園のママ友には、たまたまクラス全員の保護者が集まる機会があって、そのときに“私、がんなんです。もしかしたら娘のことで、何か頼ることがあるかもしれませんが、よろしくお願いします!”ってお話しさせてもらったの。結果、たくさんのママたちが手を差し伸べてくれて。彼女たちが困っていたら、私も助けたい。助けてくれる人、絶対に助けたい人のことを、友だちだと思っているから。断られても、それはそれで人間関係のお勉強(笑)」。そういえば入院中に友さんからLINEがあり、それは「退院してすぐに、どうしても行かなければならない遠出の仕事がある。ひとりで行くのは体力が心配で、もし日程が合えば車で連れて行って欲しい。仕事で忙しかったら無理しないでね」という内容だった。仕事で日々バタバタとしている私は、病気と闘う友だちにしてあげることが見つけられず、気にはしているけれど……という状況。思っているだけ、口先だけの心配が続くなか、逆に“して欲しい”ことを日時指定でリクエストしてもらい「やっと力になれる」と、張り切ってスケジュール調整をした。頼ってくれたことが嬉しかったのだと思う。もし逆の立場だったら、人を頼ることが苦手な私は、きっとひとりで四苦八苦。勝手に辛くなって、心が後ろ向きになってしまうかも知れない。でも、頼られて気づいたことだが、友だちが辛いときに頼ってくれず、その友だちが苦しんでいることにも気付けないのは、自分が“友だち”だと思っていればいるほどに悲しいことだと思う。友だちに遠慮して「助けて」と言わないことは、気遣いでも優しさでもなく、友だちに対して失礼なことなのかもしれないと、友さんから学んだ。そして、もし誰かに頼られたなら、それは自分を助けてくれる友だちに出会えたという証なのではないだろうか、とも。そういえば昔から、私がちょっと体調が悪いと呟くと、友さんは「大丈夫?」より先に「ご飯届けようか?」と、助けに向かう一歩手前の返事だったことを思い出す。
病気ってお金がかかる。
元気なうちに働いて貯金しないと。
「前よりお金が好きになったかな(笑)」
今は3ヶ月に一度検診があるだけで、それ以外は通常通りに戻った友さんの生活。今一番やりたいことを聞いてみた。「社会の状況をみながらではあるけれど、自分が多くの人に助けてもらったように、自分の経験が誰かの役に立つよう、伝える活動をしていきたい。読者の皆さんも、本当に健康診断は節約なんて考えず、きちんと受けましょう! あとは、この一件で命の大切さだけでなく、儚さも勉強させてもらった。人生は思っているより、だいぶ短いのかもって。やりたいことをやれるときに頑張る、時間を無駄にしない!が、これからの人生のテーマかな」。彼女のインスタグラムをみていると、あっちこっちと瞬間移動のような行動ペースで心配になるときがあるけれど、元気になってくれたことが何より嬉しいし、楽しくやりがいを感じているならば、それは体にも心にも良さそうだと、応援をしている。「無理はできないこともわかったから大丈夫(笑)。新しいビジネスがひらめいたり、今は仕事が楽しくて仕方ない。それに何かあっても困らないために、元気なうちに働いてお金貯めとかないと。病気ってお金もかかるから。いやらしい意味ではなく前よりもお金が好きになったかも(笑)」。そう快活に語る友さんの逞しさを誰より誇りに思うのは、傍らで微笑む朝ちゃんのはず。それは大きくなれば、なるほどに。
友さんの結婚パーティにて、友さんご夫婦と一緒に。
友さんのファミリーとも記念撮影。先日亡くなられた友さんのお父様には、原稿のアドバイスをいただいたことも。今もその言葉を思い出しながらライター業に励んでいます。